Column:本棚の一冊
2015年7月1日号
謎とき『罪と罰』

研究ってこんなに自由なんだ!
情報理工学部コンピュータ応用工学科
稲葉 毅 教授


自宅から大学まで片道2時間、往復4時間、1日24時間のうちの6分の1を移動に費やしていたことになる。大学院修士課程までの6年間のうちの1年間に相当する。

学生時代の本の思い出といわれて、真っ先にこのことが頭に浮かんだ。現在の通勤時間は片道約35分、そのうち徒歩が30分を占めるので読書にはふさわしくない。もっとも、今、長い通勤時間が与えられても睡魔に勝てる自信がない。そう考えると、学生時代は実にぜいたくな時間だったと思える。

4つ違いの兄の本棚から見つけた『壁』をきっかけに、高校時代は安部公房にはまり、前述の長い読書時間を得た折には、ロシア文学を手に取った。特にドストエフスキーの『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』には推理小説のようなサスペンスに引かれ、さすが世界中で読み継がれているだけあると妙に納得した記憶がある。しかし、宗教的・哲学的な思想、当時の社会風潮など、背景となっている考えに対する知識と理解が足りず、歯がゆい思いもあった。

そんなとき、手にしたのが本書である。偶然にも、在学中の大学の現職教授の著書であった。私と同じように『罪と罰』を探偵小説のようにぞくぞくしながら読んだ(ただし、中学生のときらしいが)という著者が、後にドストエフスキー研究家となり数々の「謎」の解明に挑んでいく。

印象的なのは、主人公のフルネームが草稿段階の「ワシーリイ・ロマースイチ・ラスコーリニコフ」から、最終稿3週間前に「ロジオン・ロマースイチ・ラスコーリニコフ」に突然変わった理由をひもとく部分。ロシア語表記での頭文字が「B.P. P.」から「P. P. P.」へと変更された理由を、著者がドストエフスキーになりきり、確信を持って大胆に予想し、検証している。

このくだりを読んで、その大胆な仮説に驚いたというよりも、研究ってこんなに自由なんだという驚きと気づきを感じたことを覚えている。まだ研究室にも所属せず、研究者が遠い存在だった当時、専門外ではあるが、初めて研究というものに触れた瞬間かもしれない。

今現在、自分が研究者の一人になっている。自分の好きなことに没頭し、当時の自分が受けたような驚きや気づきを学生の皆さんに少しでも与えられているのか、自問したい。


謎とき『罪と罰』
江川 卓 著
新潮社

 
いなば・たけし
1966年千葉県生まれ。東京工業大学大学院理工学研究科制御工学専攻修了。専門はヒューマン・マシン・システムの制御。