Column:Interview
2015年8月1日号
【卒業生訪問】新型の電動オート三輪を開発
母校と協力してマシン開発 理想を追いかけ走り続ける

松波 登 さん
(1970年工学部動力機械工学科卒/(株)日本エレクトライク社長)

戦後復興期の1950年代まで、市民の足として大活躍していたオート三輪。松波登さんは環境にやさしい電動の新型オート三輪「エレクトライク」を開発し、今年6月に国土交通省から自動車の型式認証を受け、国内では19年ぶりの自動車メーカーとなった。「多くの仲間との人脈があったからできたこと。近距離の移動手段としてはもちろん、オート三輪が広く普及しているアジア各国の大気汚染改善に役立てたい」と話す。

オート三輪と出会ったのは高校生のとき。その魅力にとりつかれ、東海大学の工学部動力機械工学科に進学。同級生だった篠塚建次郎氏らとともにラリーにのめり込み、卒業後は自動車会社に就職した。その後、父親の会社を継いでからも、ドライバーとして国内外のレースで活躍した。

「エレクトライク」の研究は、2003年に息子の太郎さんが東海大の学生フォーミュラに参加したのがきっかけだった。「チームを応援するうちに、学生たちが優秀だと気がついた。そこで私の恩師でもあり、チームを指導していた飯島敏雄教授(現名誉教授)に相談したのです」

05年から飯島教授と学生たちとの産学連携研究がスタート。3年後には、後輪の左右に取りつけたモーターのトルクを制御し、カーブでの転倒を防ぐ機構の開発に成功。「これならいける」と判断した松波さんは、自動車メーカーのOBらをスタッフに招き、市販に向けて本格的な車両開発を目指して08年には会社を設立。安価に販売するため、インドのバイクメーカーから輸入したエンジン式三輪自動車のボディーにモーターなどを搭載して「エレクトライク」を完成させた。

「道の狭い街中や近距離の移動でこそ電気自動車の利点が生きる。オート三輪は操縦性も高く、最もその特徴を生かせる乗り物だと信じてきた。理想があったからこそ、多くの仲間たちが協力してくれたのだと思う」

後輩たちには、積極的に海外に行ってほしいと語る。「自分の目で外国を見るだけでも違う。一見無駄に思うことでも、どこかで必ず生きてくるものです。そして将来は、自分の得意分野を生かして社会の役に立てる人になってほしい。そうすれば、きっとたくさんの人に助けてもらえるはずです」

 
(写真)エレクトライクは、最高時速50キロ。家庭用電源で約10時間充電すれば40キロほど走れる。近距離の宅配などのほか、高齢者が買い物に行くときの移動手段などとしても期待されている