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2015年9月1日号
相模高野球部 45年ぶり夏の甲子園V



付属相模高校野球部が、8月6日から20日まで兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で開催された全国高校選手権大会で45年ぶり2度目の優勝を飾った。2回戦から登場となった相模高は、初戦で聖光学院高校(福島)を6―1で破り、3回戦では遊学館高校(石川)を11―2と圧倒。花咲徳栄高校(埼玉)との準々決勝は杉崎成輝選手(3年)のサヨナラ打で劇的勝利を収め、準決勝で関東第一高校(東東京)を10―3で下した。5年ぶりに駒を進めた決勝戦では、初優勝を狙う仙台育英学園高校(宮城)と対戦。左のエース小笠原慎之介選手(3年)が、同点の9回に決勝のソロ本塁打を放ち、投げては161球で完投と投打に大活躍。10―6で栄冠を手にした。

なお、同大会には付属甲府高校も出場。1回戦で静岡高校に8―7で競り勝ち、2回戦では下関商業高校(山口)を9——1で下したが、3回戦で早稲田実業高校(西東京)に4―8で敗れベストとなった。

投打に圧倒し日本一 大応援団が栄冠を後押し
8月6日から20日まで兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で開かれた全国高校選手権大会で、45年ぶり2度目の優勝を飾った付属相模高校野球部。激戦区・神奈川県で7試合を勝ち抜き、2年連続度目の夏の甲子園で5試合を戦った。決勝戦では約720人の生徒や保護者、卒業生らがアルプススタンドを埋め尽くした。大声援で選手を後押しした応援団を追った。

流れを引き寄せる伝統の『喜びの歌』

「ワン、ツー!」。吹奏楽部の村松美里さん(3年)の指揮で、アルプススタンドの大応援が始まる。得点が入れば『喜びの歌』の大合唱。球場の雰囲気を一気に引き寄せる、伝統の応援だ。

スタンドを取りまとめるのは応援団とチアリーダーからなる応援委員会の生徒たち。応援団部長の大谷将貴さん(同)とチアリーダー部長の中條紗来さん(同)は、「先制できると応援団も乗っていける。今年は事前に全体練習ができませんでしたが、県大会から通して日に日に一体感が増してきた」と声をそろえた。大谷さんは父が野球部、中條さんは姉がチアリーダーで、相模高の甲子園応援を経験している。それぞれ背中を追うように入学し、今回が2度目の甲子園。大谷さんは、「団長として自分の指揮でスタンドがまとまった瞬間は格別。選手の力になれれば」と語った。

2枚看板打力でV 20二塁打の新記録
聖光学院高校との2回戦では、吉田凌選手(同)が8回1/3を4安打1失点。遊学館高校との3回戦は、小笠原慎之介選手(同)が8回を6安打2失点にまとめた。

2枚看板に加え、今夏は打線も絶好調。2、3回戦は初回に4点を先制し、準々決勝の花咲徳栄高校戦は杉崎成輝選手(同)のサヨナラ打、関東第一高校との準決勝、仙台育英学園高校との決勝は10得点で打ち勝った。

中でも決勝戦は手に汗握るシーソーゲームだった。序盤に4点をリードしたものの、6回には6―6の同点に追いつかれる。父母会会長の林戒舟さん(1987年度卒)は、「次の1点で決まると思った」と振り返る。指揮をとる門馬敬治監督(相模高教諭)とは相模高野球部の同期、田倉雅雄部長(同)は当時の監督だ。「門馬はみんなが負けて落ち込んでいると笑わせてくれたり、遠征の帰りには練習法を提案したり。田倉先生も当時では珍しいウエートトレーニングを取り入れながら指導してくれた」と振り返る。だからこそ、「日本一になって胴上げを見たい」。そんな思いで声援を送っていた。

9回表、小笠原選手の本塁打で勝ち越すと、アルプススタンドから『喜びの歌』の大合唱が始まった。傾きかけた流れを引き戻す。歌が終わらないうちに畳みかけ一挙4得点。その裏、小笠原選手が最後の打者を打ち取り、歓喜の輪が広がった。全試合で2ケタ安打をマークし、杉崎選手が史上3人目となる1大会6二塁打の大会タイ記録、チームとしても20二塁打の大会新記録を打ち立てた。選手たちの手で12回宙を舞った門馬監督。抱き合い、喜びを分かち合う選手たちに、惜しみない拍手が送られた。大金眞人校長は、「前回優勝時の監督で昨年亡くなった原貢さんが大会期間中に育成功労賞の表彰を受け、野球部の創部50周年祝賀会も控えている。いいはなむけになりました。選手たちは本当によく頑張った」とたたえた。

甲府高はベスト16に U18代表に4選手
付属甲府高校野球部は2年生エース・菊地大輝選手を中心に、山梨県大会5試合でわずか3失点、打っては4番・平井練選手(3年)ら強打者をそろえて得点と投打に圧倒した。2年連続度目の甲子園でも全3試合で2ケタ安打と猛打を発揮したが、早稲田実業高校に4―8で敗れ、ベスト16となった。

なお、8月28日から9月6日まで日本で開かれるU―18ベースボールワールドカップの日本代表に、相模高の小笠原選手、杉崎選手(内野手)、豊田寛選手(3年・外野手)、選抜高校大会に出場した菅生高校の勝俣翔貴選手(同・投手)が選出されている。


(写真上から)
▽優勝を決め、喜ぶ選手たち
▽相模高の緑のメガホンで埋め尽くされた決勝戦のアルプススタンド。大会期間中には付属仰星高校の野球部や相模高中等部の生徒らも応援に駆けつけ、一丸となってグラウンドの選手たちに声援を送った
▽全5試合に登板した小笠原選手。優勝を決める本塁打も放った

 
「直感と選手を信じろ」 先輩からの熱いエール

1970年8月20日、PL学園高校との甲子園決勝戦。井尻陽久さんは、相模高の主将として歓喜の瞬間を味わった。「超満員の中でプレーしたことは今でも覚えています。原の親父(=貢監督・故人)は“打ち勝つ野球”だったから、練習でもとにかく打ち込んでばかりいてね。短い守備練習は相当集中してやりましたよ(笑)」

当時の原監督が打撃で大事にしたのは「手首の柔らかさ」。ボール球に手を出さず、際どい球はファウルにして打ちやすい球を待つためには、手首を柔らかくバットの振り幅を小さくすることが大切、という教えだ。門馬監督も東海大学硬式野球部在籍時、同部の指揮をとっていた原監督に学んでいる。「門馬監督はこれまでにも守備力と走力を備えたいいチームをつくってきたけれど、やっぱり打てなければ勝てない。それが今年は打力もある。親父の教えも生きているね」

決勝戦の前夜、井尻さんは門馬監督に一通のメールを送った。“自分の直感を信じ、選手を信じ、積極采配を!”。「誰よりも野球と、選手と向き合って考えてきた監督だから。あとは信じるだけ」

10―6。45年前と同じスコアで頂点に立った“後輩”を、スタンドから誇らしげに見守った。


(写真)優勝を決める決勝本塁打も放った1970年夏の甲子園決勝ではPL学園高に11安打を浴びせ、10─6で勝利。原監督の掲げる“打ち勝つ野球”で初の日本一に輝いた(写真提供=学園史資料センター)