Column:Point Of View
2016年4月1日号
庶民の芸術 浮世絵への熱い視線
課程資格教育センター 篠原 聰 准教授 

今、浮世絵が熱い。先月、渋谷のBunkamuraで始まった展覧会「俺たちの国芳 わたしの国貞」である。日本美術の収集で知られるボストン美術館所蔵の浮世絵の名品が、この春、日本に里帰りしている。昨年の「浮世絵師 歌川国芳展」(札幌芸術の森美術館)は想定の3万人をはるかにこえる5万人が訪れたというから、同展の期待も高まる。各章のタイトルも髑髏彫物伊達男[スカル&タトゥー・クールガイ]、今様江戸女子姿[エドガールズ・コレクション]といった具合に現代的でポップなルビをふっているところが面白い。国芳根付など関連グッズも再入荷待ちが出るほど大好評のようである。

歌川国芳は玄冶店(げんやだな=今の日本橋人形町)に居を構えていたことから玄冶店派と呼ばれたが、その末流に鏑木清方(1878〜1972)という日本画家がいることはあまり知られていない。江戸から明治にかけて、国芳・芳年・年方・清方・深水と続く歌川玄冶店派の流れである。

鏑木清方は、女性を中心とした人物を数多く描いた画家である。粋の情感あふれる『築地明石町』をはじめ、下町の情景を描いた『明治風俗十二ヶ月』など、彼が描く人物を美人画や風俗画、日本画などのジャンルに分類せずに通覧すると、市井に生きた人間の営みに対する彼の深い理解と共感が一貫して流れている様子をうかがうことができる。

東京下町に生まれ育った清方は、市井の暮らしが紡ぎだす風俗、人情、四季折々の風物を愛し、庶民の暮らしに交差する人生の機微や下町風情を、鋭くかつ温かいまなざしで捉えては、画中人物の姿態や所作に点てん綴ていしてゆく。

彼が人々の生活を描くことに固執するようになるのは、日本が戦争への道を歩み始める数年前からである。国芳、国貞ら江戸の浮世絵師には時代のニーズを的確に捉える鋭いまなざしと反骨精神があった。鏑木清方もまた、あの戦争で多くの人々の生活が失われてゆく近未来を見通したのかもしれない。時世粧(じせいそう)に敏感な浮世絵末流の画家だからこそなせる業である。

浮世絵への熱いまなざしは、もしかしたら、人々が時代の閉塞感を肌で感じ始めている徴しるしなのかもしれない。(筆者は毎号交代します)