Column:本棚の一冊
2016年7月1日号
『陰獣』


嗚呼、僕は變態だつたのか
情報通信学部経営システム工学科 田畑智章 准教授



思えば子供の時分から他人と同じになることが嫌いで、よく周りから変わっているといわれていた。そのくせ淋しがり屋で独りで生きて行けるほど強くはなく、次第に変わっているといわれることに恥じらいを覚えるようになった。常に人の輪の中心に寄り添うことだけを考え、他人の眼の色を監視し、自分の行動にずれがないかを確認しながら過ごした。しかし、そんな自分に内なる声は嘲弄し、心と体は疲れていくだけであった。 

大学1年の夏、当時はまだ存在していた早稲田の古本屋街の一角で、古めかしい背表紙に「江戸川乱歩」の文字を見つけた。小学校のときに、なりたい職業に探偵と答えたのは、まさに明智小五郎に憧れていたためであり、今ここに初恋の人がいるがごとく、興奮に震えながら本に手を伸ばした。しかし、ロマンスは店主により簡単に壊される。「君には買えないよ」。値札を見たら三十万円であった。 

家に帰っても想いが消えなかった僕は金を貯め、再び赴いたものの、悩んだ末に三十万円の隣にあった復刻版を購入した。ところが、あまり中身も確かめずに買ったため、まさか明智探偵や少年探偵団が出てこない内容だとは思いもしなかった。本は、春陽堂書店の江戸川乱歩文庫『陰獣』と題されていた。

嘆息したものの、表紙に描かれている多賀新の奇妙な絵に引き込まれ頁を捲ると、そこには心理学者のマズローが語る人間のさまざまな欲求が具現化されており、それらが五感に浸透していくのを感じた。あるときには被虐色情の世界が映し出され、またあるときにはいじめられた障害者の残虐な復讐劇が展開された。もはや乱歩が推理作家だという思い込みは根底から崩れていった。『陰獣』だけでは飽き足らず、他の作品も求めるようになった。

よく乱歩が語られるとき、「変態」というキーワードが掲げられる。そこで用いられる多くは「変態性欲」の意味である。しかし、「変態」とは単純に「正常とは異なる状態」のことであり、乱歩はむしろその人間の異常性に着目し、強調することによって、「人間とは何か」という命題を探求しているように思える。

ああそうか、変わっている人間も人間なのか。他人から異常視されることにも価値があるのだ。逆に表面上変わっていることを隠して過ごすことにだって価値があるのだ。もう他人の眼を気にしなくてよいのだ。僕は僕として生きてよいのだ。そんな自分に内なる声も安堵し、心からの笑顔を見せられるようになった。

『陰獣』
江戸川乱歩著
春陽堂書店
※書影は現在入手可能なリニューアル版

 
たばた・ともあき
1971年東京都生まれ。早稲田大学大学院理工学研究科博士課程満期退学。専門はマーケティングサイエンス、金融工学。