Column:本棚の一冊
2016年10月1日号
『けっぱり先生』


求められる教師像とは
体育学部体育学科 大越正大 准教授



高度経済成長が安定期に入ったころが、私の学齢期にあたります。当時は、受験競争の激化、校内暴力の多発といった教育問題が大きくクローズアップされていました。また、教職は大量採用期にあり、無気力な教員を、「でもしか先生(教員にでも(‥)なるか、しか(‥)なれない)」などと揶揄する時代でもありました。

そんな状況でもなお学校教員が人気職といわれたのは、1974年に施行された人材確保法(給与の優遇措置)はもとより、当時はやった「われら青春」「熱中時代」といった学園ドラマの主人公のように、学校の閉塞感を払拭してくれるヒーロー的先生の登場を世間が求めていたのでしょう。

私自身、きちんと反抗期を迎えた(笑)中学時代。こうした生徒目線の学園ドラマを懐疑的に眺める一方で、『けっぱり先生』という大人目線の学園小説を手に取ったのは、当時教員であった父の職業を理解しようとしていたのだと思います。

“けっぱる”というのは東北地方の方言で“踏ん張る”“頑張る”という意味です。卒業式に「仰げば尊し」を歌わせない私立の一貫校を、新聞記者の宮川が取材をします。そこで出会った名物校長が「けっぱり先生」こと猪股校長(桐朋学園の生江義男氏がモデル)。時代背景に違いこそあるものの、今にも通じる数々の教育のゆがみに対峙し、誠実かつドラスティックに正そうとする姿が描かれています。

それはドラマのようなヒーロー像ではなく、悩み多き一人間の生きざま。泣けるラストシーンは大変さわやかで、「教師にでもなるか!」とよい意味で思わせてくれます。

現在、教職は大量退職期を迎え、冷え込んだ採用数も回復に転じています。しかし、いじめや学級崩壊、教師の負担増などから“人気職”より“労多き職”という印象が強くなっているのも事実です。当然こうしたイメージが先行するのは、熱意ある優秀な人材を確保するのに、追い風にはなりにくいでしょう。教育とは何か―。著者の山口氏はあとがきの中で“情熱”と“公平”、そして“イキモノである”と語っています。

子どもたちは英雄より一人ひとりに本気で向き合ってくれる“人間くさい先生”を求めていると感じます。あれこれ悩みながら人間っぽく“けっぱる”教員志望の学生を見ていると、未来は決して暗くないと思います。

『けっぱり先生』
山口瞳著
新潮社

 
おおこし・まさひろ 
1969年東京都生まれ。専門は体育科教育学。日本体育大学体育学部卒、同大学院体育学研究科修了。高校教諭、教育行政職(教育委員会指導主事)を経て現職。