Column:本棚の一冊
2011年4月1日号
『侏儒の言葉』


「小生意気な年代」が求めた言葉
法学部法律学科 菊池京子 教授


おそらく高校2年か3年ごろだったかと思う。当時は1968?69年の学生運動の真只中、しかも私の高校は都内でも学園紛争の激しい高校の一つだった。立看板が立ち、バリケードが張られ、大衆団交が繰り返される日々の中で、私たち高校生も妙に騒がしい気持ちと何かに追われるような焦りを抱えながら、デモや集会に参加したり、喫茶店に長く居座って終日文学やら芸術やら思想やら何やらをいかにも小難しい言葉を並べて論じ合うなどしていた。やがて高校に機動隊が入りバリケード封鎖が強制解除されると、学校はロックアウトを断行、授業は休講のまま卒業式も中止となった。激動の高校生活だった。

しかしその間、友人たちと「岩波を読む」をテーマに岩波文庫・新書を毎日1冊読むことを競うなど、あのころだからこその貴重な経験もできた。そんなときに手にした1冊が芥川龍之介の『侏儒の言葉』である。もともと芥川の作品は好きだったが、この本を開いて、自分が彼の作品を好む理由はすべてここに集約されていると感動したことを覚えている。当時のその年齢の私が求めているものがそこにあったということだろうか。

私は図書館で借りたこの本の気に入った文をノートに写し取るのでは足らず、その後1冊購入し、あちこち印をつけたりメモしたりして何度となく読んだ。当時の私は逆説的なものの見方、冷笑的な言いまわしに妙に魅かれており、芥川の卓抜なものの見方とそれを表現する言葉遣いの巧みさ、研ぎ澄まされた感性とそれによる観察眼の鋭さに感動し続けていたと思う。まねて日記をつけたりもした。小生意気な年代ならばこそかもしれない。記憶をたどり本書中、私の好きだった言葉をいくつか記そう。

/耶蘇「われ笛吹けども、汝ら踊らず。」彼ら「われら踊れども、汝足らわず。」/「桃李言わざれども下自ずから蹊を成す」とは確かに知者の言である。もっとも「桃李言わざれども」ではない。実は「桃李言わざれば」である。/わたしは不幸にも知っている。時にはうそによるほかは語られぬ真実もあることを/正義は武器に似たものである。武器は金を出しさえすれば、敵にも味方にも買われるであろう。正義も理屈をつけさえすれば、敵にも味方にも買われるものである。/

皆さんも、一読されてみませんか。

『侏儒の言葉』
芥川龍之介著(岩波書店)

 
きくち・きょうこ 1951年神奈川県生まれ。上智大学法学部法律学科卒業。一橋大学大学院法学研究科博士課程修了。専門は刑事法