Column:知の架け橋
2020年1月1日号
「AI」を考える
文化社会学部文芸創作学科 倉数 茂 准教授

AIという分身の夢を見る
不気味で魅惑的なドッペルゲンガー


〈AI〉ほど、ここ数年で頻繁に目にするようになった言葉はないだろう。
 
例えば、経済誌にはしょっちゅうAIに奪われる仕事と奪われない仕事といった記事が載っているし、スピーカーからエアコンなどの家電製品にまで「AI搭載」を売り物にしている(?)製品もずいぶん出てきているようだ。憧れだったり、不安だったりと現れ方はさまざまだが、人々がAIに強い関心を抱いていることはまちがいない。どうしてだろうか?
 
ぼくは普段小説を書いている。SFを書くこともあるが、科学や数学の知識は平均レベルかそれ以下である。そんなぼくだから、「ロボット掃除機」のルンバもAIの仲間とみなしていいのかわからないし、そもそもAIとは何かを定義せよ、と言われたら言葉につまる。しかしその程度の人間でも─あるいは科学音痴だからこそ─人々がAIに注目する気持ちがわかる気がする。
 

その理由は、AIがいやおうなく、人間とは何か、意識とは何か、といった問いを生み出すからだと思う。推論や複雑な判断をできるような高度な知性はこれまで人間だけのものだと思われていた。ところが機械もそれを持つことができる、それどころか人間を凌駕、圧倒するかもしれない、という考え。
 
その意味で、AIは、UFOに似ている。
 
ぼくが子供のころには、児童向け雑誌によくUFOの記事が載っていたものだ。UFOの魅惑も恐怖も、人間とはまったく異なる形態の高度な知性が存在し、それが人間にどういう態度をとるかわからない、というところにあった。そして世界中の大都市上空に巨大な宇宙船が現れ、一気に地球を制圧するといった物語がたくさん作られた。ちょうどいま、AIが人間の支配者におさまる物語が語られているように。
 
SFの元祖にメアリー・シェリーという女性の書いた『フランケンシュタイン』がある。生命の秘密を探求している天才科学者が、墓場から掘り起こした死体をつなぎあわせて新たな生命を作る。だがそうして生まれたモンスターは、自分がなぜ、何のために生まれたかに苦悶し、やがて造物主である人間に反抗する。19世紀、科学が急速に世の中を変えていくことに人々が驚いていた時代に書かれた物語である。
 
つまるところフランケンシュタインのモンスターやUFOから降りてくるエイリアン同様、人々はAIに「人間以上の人間」「人間ならざる知性」という幻想を投影しているのだと思う。
 
いわばAIは人間の不気味で魅惑的なドッペルゲンガーなのだ。
 
現実のAIがこれからいかに発展し、どう世の中を変えていくのかはわからない。だけどはっきりしているのは、人間たちが当分のあいだ、AIという分身の夢を見るのをやめないだろうということだ。

 

くらかず・しげる 1969年兵庫県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。東京大学大学院言語情報科学専攻修了。専門は日本近代文学。小説家。著書に『名もなき王国』(ポプラ社)などがある。