Column:本棚の一冊
2011年12月1日号
『「わざ」から知る』


「身体で覚える」ということ
体育学部スポーツ・レジャーマネジメント学科 久保正秋 教授


スポーツにおいて「身体(からだ)で覚える」というような練習方法は前近代的で非科学的であるといわれてきた。このような方法が「精神主義」や「根性主義」を生んだといわれてきた。しかしながら、どうも違うようである。この本では、日本古来の「わざ」の習得を例に挙げながら、「からだ全体でわかっていく」分かり方があることを教えてくれる。

西洋の練習方法では、例えばピアノのレッスンのように、まず右手の使い方、そして左手、というように順序立てて教えていく。しかしながら日本舞踊の稽古では、最初から師匠の動作の全体的なまねから入っていくという。まさにこれが「からだで覚える」ということである。

日本の伝統芸道では「守・破・離」の習得原則がある。まずは「形」をまねることをひたすら繰り返し(守)、そして次に「形」を吟味し、客観的に批判し(破)、最終的にはこれらを離れ、その世界全体の意味関連を把握するというものである。

このような「わざ」の習得方法は、ある身体観に基づいている。 我々は身体をある種の「機械」として観ることがある。スポーツにおける科学的分析は、身体を物体として見なし、その動きを解明しようとする。また、身体と心とを分けて考え、互いに相互作用するものとして観ることがある。

ここでは、心(精神)を強化し、それを身体に及ぼそうとする。ここに精神主義の萌芽がある。「身体で覚える」とは、これらの身体観とは異なり、身体と心を分かちがたいものとして観る。つまり人間は身体であり、また心でもあり、その全体として存在するという見方なのである。

このように「身体で覚える」とは、人間を全体として捉える試みでもあり、精神主義に基づいた古い非合理的な練習方法として否定されるべきものなのではない。現代では言葉を用いて頭で分かるというような理解の仕方が一般的である。しかしながら、単に頭の中で理解することだけでなく、「状況の中で」「生活との意味関連の中で」、そして「身体全体で」分かるという理解の仕方があるということを忘れてはならない。

『「わざ」から知る』
生田久美子著
東京大学出版会

 
くぼ・まさあき 1950年静岡県生まれ。東京教育大学体育学部卒業、博士(スポーツ科学)。専門は体育哲学。著書に『体育・スポーツの哲学的見方』などがある