Column:知の架け橋
2011年12月1日号
「震災・防災を考える」
海洋学部海洋文明学科 関いずみ 准教授

自然への畏怖と敬意を伝える
いざという時に助け合える関係を


天然の資源に依存する漁業を生業とする人々は、必然的に海と対峙しながら生活をしてきた。海は私たちにとって欠くことのできない恵みの根源であると同時に、それは時折人間が抗うことのできない脅威となって襲いかかる。

その脅威の一つに津波がある。今年3月の地震、津波で甚大な被害を被った三陸地域は、これまでも何度となく津波を経験してきている。明治と昭和の三陸地震では、数十メートルの大津波がまちをのみ込み、多くの犠牲者を出した。1983年の日本海中部地震による津波や、93年の北海道西南沖地震による津波は記憶に新しい。チリ地震のように、地球の裏側で起きた地震による津波もある。 

私たちは災害を受ける度に、その脅威と戦うための技術を開発し、次に備える準備をしてきた。とりわけ幾度も津波の被害を受けてきた三陸の町々では、集落の周囲に防潮堤を張り巡らせるなど、防災都市づくりに力を注いでき施設は重要だ。防波堤が集落内への津波の侵入を阻止した地域もあるし、これらの施設が数分でも逃げる時間を稼いでくれたとも考えられる。しかし、今回私たちは、どんなに厳重な施設も、自然の前では絶対ということはあり得ず、自然の力を押さえつけるという発想での防災には限界があるのだ、ということをまざまざと見せつけられた。

地域で暮らす人々は、これまで自然への畏怖と敬意の気持ちを様々な形にして表現することで、災害の記憶を継承してきた。例えば昔から集落の中で呼び慣わされてきた地名は、そこがどういう性格の場所かということを伝えてきた。「ヤ」「ヤチ」がつく地名はもともと谷底のような低湿地であった場所が多く、降った雨が集中する可能性があるし、「ヒロ」がつく地名は低い土地であることが多く、洪水や冠水の被害をよく受けた場所であったりする。

このような地名の由来や、具体的な災害の体験談は親から子へ、その次の世代へと、地域や家庭の中で連綿と語られてもきたはずだ。人工の構造物の整備と併せて、昔からの記憶を尊重し、その土地に合ったまちづくりを考えていくことは重要だと思う。

今後30年に東海地震が発生する確率は87%といわれている。わが東海大学海洋学部は駿河湾内に小さく突き出た三保半島の中ほどに位置しており、周囲を海に囲まれた絶景のロケーションに恵まれているものの、津波に関しては不安もある。

そこで現在、長い歴史の中でこの半島にはどのような災害があったのか、多くの学生が暮らす三保半島ではどこに避難場所があるのか、そういったことを学生と一緒に学び始めている。避難の視点から半島内を実際に歩いて見る、地元の人たちから昔の話を聞き取る。そういう活動の中から、地域の記憶を受け継ぎ、地域に暮らす人々と知り合うことで、いざという時に助け合っていける関係を築いていく。いつか起こる災害に対して、いま私たちができることを真剣に考えていきたい。

 
(写真)津波は生活のすべてをなぎ倒した(震災2カ月後の宮城県女川町)

せき・いずみ 1963年東京都生まれ。東海大学文学部卒業、法政大学大学院人文科学研究科地理学専攻修了。専門は漁村社会学、地域計画。著作に『女性からみる日本の漁業と漁村』(共著・農林統計出版)など。