Column:本棚の一冊
2012年1月1日号
『生物としての静物』


かけがえのない〈一個〉との出会い
文学部日本文学科 出口智之 講師


通学途中になくしたもののかわりに、母に買ってもらった腕時計。高校入学のお祝いにと、つきあっていた女の子がくれた定期入れ。受験勉強で使ったシャープペンシル。ともに過ごした時間がいつしか長くなり、同じ道のりを歩むうちに、何でもない一つひとつが大切な同伴者になってゆく。物には確かに魂が宿る。そのことに気づいたのは、大学生のころだっただろうか。ちょうど、人生もそれなりの長さになって、記憶が地層を作りはじめる時期である。何気ないある瞬間、そうした地層の断面が、手元の小さな一個に浮かびあがるのだ。

『生物としての静物』に出会ったのも、そのころだった。開高健は作家として、ルポライターとして、また釣師として、世界中を駆けめぐった男である。ある時はベトナムの激戦地で銃弾に身をすくめ、ある時はイスタンブールの高級ホテルでパイプをくゆらし、ある時は魚を追ってアマゾンの原始林を遡行した。そうした果てしない旅をともにした物への愛情が、どのページにもあふれていた。

それはまさに圧巻だった。あらゆる極地を駆け抜けた彼の記憶が、一個のライター、一本のベルトにつまっていた。その経験の多彩さにも眼をみはらされたが、何より魅惑的だったのは、限りない時間と愛情とを受け止めた物がまとう生き物としての存在感だった。開高の長い旅路における「物言わぬ小さな同行者」の数々は、磨きぬかれたきらめきに満ちていた。その存在感に魅了された私は、すぐに自分の〈一個〉を探しはじめた。「一生モノ」を求めるあまり、かなり高価な小物を買ったこともある。だが、それらすべてが最良の伴侶になったわけではない。

開高は愛用の万年筆について「いつとなく生きのこってくれた」と書いているが、〈一個〉との出会いは明瞭な相貌を持つとは限らず、長い時間の研磨によって現れるものなのだと、すなわちその〈一個〉はすでに「生物」であり、決して意のままにはならないのだと気づいたのは、ずっと後のことだった。やがて私の〈一個〉のいくつかは手元を去り、また別の〈一個〉も見い出した。思えばこの文庫本も、時おり読み返してもう十年にもなる。気がつけば、本を並べた書棚の上にも時間は過ぎていたのだった。

『生物としての静物』
開高健著
集英社文庫


 
でぐち・ともゆき 1981年愛知県生まれ。東京大学文学部卒業、東京大学大学院人文社会系研究科博士課程満期退学。博士(文学)。専門は日本近代文学。