Column:知の架け橋
2012年6月1日号
「震災・防災を考える」
教養学部国際学科 旦 祐介 教授
「人間の安全保障」への課題
地球市民としての自覚と責任を


震災が発生したとき、私は米国で会議発表の準備をしていた。夜、ホテルの部屋に戻ってニュースチャンネルCNNをつけると、津波の映像だった。翌々日(3月13日ごろ)からは゛MELTDOWN?"(メルトダウン、炉心溶融)の文字が繰り返し報道された。ドイツの友人からは、「いつでも逃げてこい、うちに泊めてあげるから」とのメールが頻繁に届いた。初めて、先進国日本でも「人間の安全保障」「人々の安心・安全」が我々一人ひとりにとって、重大テーマになったことを感じた。

人間の安全保障は、政治信条の違いから拷問されるような恐怖におののかないですむような安全、食べ物などの心配をしないですむ安心を、すべての人たちに認めようという考え方である。多くの途上国では、この問題は依然きわめて深刻である。しかし、先進国でも、大震災やハリケーンのときに人間の安全保障が問われる。米国では4千万人が健康保険を持たない。3・11は先進国での人間の安全保障の課題を浮き彫りにしたといえる。

減災という政策的視角が、再び注目されている。震災・災害を完全に防ぐこと(防災)はできないが、それらの影響を減少させること(減災)は可能である。3・11に際しては、建築基準の向上により耐震構造は減災に相当な威力を発揮したといわれるが、津波対策は辛うじて伝承や言い伝え(「てんでんこ」)によって実現するにとどまった。中には、この150年間の大地震の教訓から、高台居住を施行して、難を逃れた例もないわけではないが。

さらに、3・11は原子力発電の意義を議論の俎上(そじょう)に載せた。唯一正しい解答があるわけではない。価値観・人生観に基づき、ドイツのような全廃の方針もあり得るだろうし、限定的に再稼働して今夏の需要を賄うという選択肢も可能である。もともと、原子力発電のエネルギー源とて有限の資源なので、未来永劫原発に頼るというシナリオではなかった。

人間のあらゆる営みにはリスク(危険度)があり、それをゼロにすることはできないが、可能な限り減少させることには意味がある。3・11を契機に、私たちの視点は、国家中心の考え方ではなく、私たち一人ひとりの安全・安心の見方にシフトしたように思える。

途上国では、政府批判をすれば拷問される(恐怖からの自由)、明日の食べ物がない(欠乏からの自由)という安心・安全の問題が焦点である。先進国では、今、新たに、放射能汚染のために自分の生まれ育った町に帰れずに避難所で非業の死を遂げる(人間としての尊厳)多数の人たちの安心・安全の課題が大きくなった。

震災当初、「ただちに健康に影響はない」という言い方が繰り返されたが、これは長期的には影響があり得るということを意味している。こうした課題をどう乗り越えるかは、私たち全員が地球市民として英知を結集して取り組むべきチャレンジであるように見える。

 

だん・ゆうすけ 1956年東京都生まれ。米国アマースト大学卒業(東京大学大学院総合文化研究科国際関係論博士課程修了)。専門は国際関係論。米国・国際学学会(ISA)などに所属。著書に『21世紀の人間の安全保障』(共著)などがある。