Column:本棚の一冊
2012年7月1日号
『楢山節考』


異文化と対峙するということ
工学部航空宇宙学科 中篠恭一 准教授



大学は何の迷いもなく理工系の学科へ入学した。高校時代、素粒子物理学に興味を持っていた私は、大学では現代物理学を学究するのだと、かたくなに決めていたのである。だがそれは学問に対する決意などではなく、神秘なミクロの世界に対する淡い憧憬のようなものにすぎなかったのではないか、と今にして思う。入学後に受講した物理学・数学系の科目は当時の私にとってあまりに難解かつ抽象的であり、数カ月で素粒子物理に対する興味がうそのように失せてしまったのである。

その反動からか、大学1年次を半期ほど過ぎたころ、私は全く別のことをやり始めた。軽音サークルに入部してバンドを組み、ギターを手にオリジナル曲を歌う、というよりも叫び立てていた。その一方で哲学書や思想書、太宰治や坂口安吾、ドストエフスキー、バルザックといった作家の小説をむさぼるように読むようになった。そんな当時の読書体験の中で、最も衝撃を受けた小説作品が本書『楢山節考』である。

舞台は、とある信州の寒村。まだ「姥捨て」の因習が残っていた時代の話である。口減らしのために老母あるいは老父を山に捨てに行くという「姥捨て」。我々は、「食料難の時代にはなんと残酷な風習があったことか」などと考えてしまうが、現代人の「良識的」見解がいかに一面的かを語っているのが本書である。小説に登場する村人たちは、姥捨てをきわめて「当たり前」のこととして受け入れ、この風習に一種の敬畏すら抱いている。

読者は冒頭で、主人公の老母「おりん」が、ついに姥捨ての対象年齢になったことを知らされる。おりんは、その事実に恐怖したか。そうではない。彼女は楢山参り(姥捨て)を立派に全うするため、何年も前から、ひたむきに準備を整えてきたのである。彼女の清澄な魂は、あたかも聖女の信仰心のようですらある。そして、いよいよその日が訪れ、おりんの息子「辰平」は愛する母を捨てるため、神の棲まう山、楢山へと向かうことになる。

文庫本にしてわずか60ページたらずの作品だが、読者の心に生涯消えることのない強い衝撃を与える、そんな作品である。加えてラストシーンの描写はあまりにも美しい。「美しい小説」という形容が確かに成立することを、私はこの作品を通じて初めて理解した。皆さんにもぜひ、一度はひも解いていただきたい一書である。

『楢山節考』
深沢七郎著
新潮文庫
 

なかしの・きょういち
1971年埼玉県生まれ。東京大学工学部卒業(東京大学大学院工学系研究科博士課程修了)。専門は、宇宙構造物工学。