Column:本棚の一冊
2013年2月1日号
『兎の眼』


批判的思考の重要性
理学部数学科 山本義郎 教授

 

この本は、学生時代に、現在中学校の教員をしている友人に勧められて読んだのだと思う。当時学校教諭になることも進路の一つに考えており、興味深く読んだ。そして本書との出合いは、その後の私に大きく影響することとなった。

大学を卒業して小学校の教員になったばかりの小谷先生と、担任した1年生鉄三との交流を中心に、学校教育や社会問題を視野に入れた小説である。「兎の眼」とは、奈良・西大寺にある善財童子像の眼の形容であり、小谷先生はその眼の美しさに憧れている。小谷先生が美しいと思う眼は、美しくあるために抵抗している者の眼であり、自分もそのような眼になりたいと思っている。同僚の足立先生や鉄三の祖父のバクじいさんの影響もあり、小谷先生はクラスや学校で起こる問題を自分のことと捉え、しっかり向き合っていく。その姿は当時の自分にとって、やる気を喚起されるものだった。一方で、個々の生徒が抱えているさまざまな問題すべてに気づき、対応できるか、不安な思いも強く感じた。

本書には小谷先生の奮闘記とは別に、いくつかのエピソードが組み込まれている。中でも心に残ったのは、塵芥処理場の移転反対運動をめぐって語られる、個人と全体(大多数)の利害の問題だった。大多数の利益が少数の不利益の上で優先されることへの問題提起がなされており、批判的思考(Criticalthinking)の重要性を強く意識させられた。

何かを決定する際に、その策は最善なのか? それによって不利益をこうむる人はいないか? 批判は否定と同義に捉えられがちだが、全く違う。批判的思考は、客観的な立場で情報を分析し考えをまとめることだ。多様な価値観が存在する現在では、より重要な考え方である。この意識は、現在の専門分野を選ぶ際にも影響した。問題に対して価値を評価し、逆に不利益の程度を評価することで判断基準を提供する統計学に引かれた。現在研究している情報の「見える化」もその一つだ。状況をわかりやすいグラフなどで図示する、視覚化の手法である。

学生時代には大学の教員になるなど思いもしなかった。そんな私が教員として学生に接し、数学の教諭を目指す彼らに教諭となるための心がけなどを口やかましく指導している姿は不思議である。今の私の眼は、兎の眼に近づけているだろうか?


『兎の眼』
灰谷健次郎著
角川文庫

 
やまもと・よしろう 1967年長野県生まれ。岡山大学大学院自然科学研究科システム科学専攻博士後期課程修了。理学博士。2004年4月より東海大学理学部に着任。共著に『統計応用の百科事典』など。