Column:Point Of View
2013年7月1日号
「勝ち組」の呪縛から解放されること
観光学部観光学科 本田量久 准教授

「勝ち組」「負け組」という言葉が聞かれて久しい。高学歴、安定企業への就職、幸せな結婚と家庭生活を手に入れたいという人々の切なる願望を象徴していよう。だが、不確実性が高い時代にあって、個人の能力や努力だけで成功できるほど、私たちが生きる時代は単純で直線的ではない。長期的な不景気で世帯所得の停滞傾向が続き、大学進学(さらには高校進学)が困難な家庭は少なくない。また、景気動向が読みにくい状況で多くの企業は正規雇用に慎重になり、現在、非正規雇用は約3割を占める。安定的な職業を持ったパートナーとの現実志向的な結婚を目指した婚活ブームは、将来が不透明なこの時代を象徴する社会現象であろう。

では、自らの努力と能力を成果に結実させることができた「勝ち組」は幸福になれるのだろうか。現実は厳しい。大学を卒業し、安定企業に採用されても、その後の人生を保障されるとは限らない。むしろ、「勝ち組」はより高い成果を求めて走り続けることを要求される。過酷な職務に耐えきれずに数年内に離職する人は増加傾向にある。また、世界経済の流動化で大企業でさえも経営破綻に陥り得る。

これに連動して「勝ち組」の家庭にあっても、子どもの教育、住宅ローン、老後の生活などの将来設計をめぐって不安は尽きない。生活水準の現状維持を図るべく仕事を優先して働き続け、コミュニケーション不全によって夫婦関係が破綻することも珍しくない。「勝ち組」神話に呪縛された「勝ち組」こそが自ら競争を過熱化させ、無自覚のうちに幸福を犠牲にするという逆説が働いている。

羅針盤を失った社会で「負け組」も「勝ち組」も方向感覚を奪われたまま走り続ける。年間3万人もの人が自らの生命を絶つような暴力的な社会は、不幸と言わざるを得ない。強迫観念的に競争にあおられるのではなく、ときに立ち止まり、自らを見つめ、この世を生きる価値を問うことが必要ではなかろうか。このような流動的な時代だからこそ、自分を見失うことなく、地面を踏みしめながら、長く着実に歩き続けられる知力、体力、気力を養いたい。

(筆者は毎号交代します)