Column:本棚の一冊
2013年12月1日号
『義血侠血』(泉鏡花集成〈1〉)


美しくも切ない非現実の世界
情報理工学部情報科学科 黒田 輝 教授



『義血侠血』は明治後期から昭和初期に活躍した小説家、泉鏡花による1894年発行の短編である。水芸の太夫・滝の白糸はあるとき出会った、法律を勉強する青年・欣弥に強く心魅かれ、彼が東京で勉強できるよう仕送りを始める。数年後のある夜、彼のために前借りした大金を盗賊に奪われ、賊が残した包丁を証拠品として持ってさまよううち富豪の家に迷い込み、お金を取り戻さんとの狂気の果て強盗殺人を犯してしまう。裁判にかけられた滝の白糸の前に現れたのは俊爽なる新任検事となった欣弥の姿であった…… という物語である。結末はここでは述べないが、「ものすごきまで美しき」白糸の純真ないじらしさ、その恩に報いる欣弥の誠実さなど、今こうして思い出しているだけで涙があふれる。
 
泉鏡花の作品は大学生のころ、読書好きの姉に勧められて読んだ。『義血侠血』のほかにも『夜行巡査』『高野聖』など胸に染みる作品を多く読みふけった記憶がある。学生のころは友人と本当によく遊んだが、ときにこういう心を揺さぶられる文学作品に触れたことで「義」や「侠」の心を知ることになり、その後の進路やその前提となる人としての道を深く考えるきっかけとなった。
 
またこの作品を通じて日本語の美しさや疾走感を思い知った。たとえば白糸と欣弥の見つめ合う様子は、「涼しき眼と凜々しき眼とは、無量の意を含みて相合えり。渠らは無言の数秒の間に、不能語、不可説なる至微至妙の霊語を交えたりき。」とある。無駄のない文章は論理の早瀬を生み、読者を引きずり込み、視覚的な情景を想起させる。和文でも英文でも論文を書くときにはいつも、こんな滑らかな流れをつくれないだろうかと苦心するが、鏡花にはとうてい及ばない。
 
学生諸君にはこの作品を通じて伝えたいことが2つある。1つは学問の尊さである。命をかけて学費を工面する価値があるほど学問は尊く、今それを思う存分享受できる諸君はその幸せを心に刻むとともにご家族に感謝してほしい。もう1つは文語体での読書である。巷にあふれる崩された日本語を批判したいからではない。文語体の文章を読むと日本語の言葉の本来の意味がよくわかるようになるからである。
 
さて皆さん、これからの長い人生、ぜひ心揺さぶられる書物を読んで、学問や生涯の伴侶と誠実に向かい合ってゆきましょう。

『義血侠血』(泉鏡花集成〈1〉)
泉鏡花著
ちくま文庫

 
くろだ・かがやき 1962年東京都生まれ。神戸大学工学部卒業。同大学院工学研究科計測工学専攻修了。専門は電磁気応用生体計測。