Column:本棚の一冊
2014年1月1日号
『西遊記』


無人島に持っていく本
基盤工学部医療福祉工学科 村田宮彦 教授

 

もし無人島に流されたとき一冊だけ本を持っていっていいと言われたら、選ぶのは『西遊記』(太田辰夫・鳥居久靖訳、平凡社)だ。玄奘三蔵による西天取経という史実を題材にしているが、講釈師や名も知らぬ物書きが話を膨らまし続けて現在のテキストになっただけあって、内容は荒唐無稽。広く東アジアで親しまれ、誰でも孫悟空、三蔵法師、猪八戒、沙悟浄の4人(?)や、悟空が釈迦如来の掌から出られなかった話、金角・銀角のエピソードなどを子どものときに見聞きしているはずだ。
 
この本との出会いは中学生のとき、オリジナルを読んでみようと、小野忍訳の岩波文庫版を、書店に並んでいた3巻まで買って帰ったことに始まる。あまりの面白さに一気に読み終え、続きを買いに別の書店に行ったがない。翌日、梅田に出て旭屋書店と紀伊國屋書店まで回ったがない。アレと思ってよく見ると、まだシリーズ刊行途中だった。
 
全10巻そろうまで待ちきれないので、平凡社版の、この単行本を買って帰ったが、小野先生が4巻を出す前に亡くなり、訳者交代の末、岩波版が完結するのが20年近くたった1998年になるとは、さすがに予想できなかった。
 
西遊記の魅力は、一つは勧善懲悪の物語の力だ。この作品世界の中では「天帝」もいるが、どうも釈迦如来が秩序の頂点らしく、ほぼ無敵で、悟空のピンチも最後はなんとかしてくれる黄門様的存在。善の勝利が保証されているので、安心して楽しめる。でも、それだけではえらく薄っぺらい話だ。そこでもう一つ、そういった秩序からはみ出た荒々しさの魅力がある。
 
たとえば、悟空はそこまでしなくてもいいような小悪党を何のためらいもなく殺してしまうし、八戒は話のほぼ最後まで自分の欲望に忠実であり続ける。三蔵法師は弟子に小姑のような小言を言ったかと思うと、妖怪につかまってはメソメソ泣く。話の最後に主従4人は皆、仏になるが、三蔵法師と沙悟浄はともかく、悟空と八戒はおとなしく仏でいられるとはとうてい思えない。作品世界をひっくり返しかねない、この逸脱こそが、手塚治虫、諸星大二郎や中島敦のような優れた表現者をも引きつけ、自身の西遊記を作らせる力の源だろう。テンポのよさも古典とは思えない。これからも何度も読み返すだろう。というか、今また読み始めたところだ。

『西遊記』
太田辰夫、鳥居久靖訳
平凡社

 
むらた・みやひこ 1964年兵庫県生まれ。京都大学大学院医学研究科修了。医学博士。専門は生理学。生き物の個体を対象にする研究を心がけている。