Column:Point Of View
2014年3月1日号
追憶の円環
国際文化学部デザイン文化学科 藤森 修 准教授

彼とはほぼ同時期に採用された。西日本のイントネーションが同世代に生じがちの摩擦を緩和させる。旭川校舎にある研究室のパソコンの調子が悪くなると、慌てて階下のその教員のドアをノックした。雑然とした彼の机の脇に鎮座した1枚のCDがオーラを放っていた。ケースには家族写真のようなセピア色の古い写真。あるいはインクジェット印刷特有の褪色がノスタルジーに化けているのか、いずれにせよ目を背け敬遠した。

担当学生の卒業研究に、「美しい村」として知られる北海道の美瑛に末期がん患者のホスピスを提案するというものがあった。僕は昨年に義母を千葉のホスピスで亡くしているため、その経験も指導に役立ったと思うが、影響したのはあの部屋で見たCDの残像だった。何度目かの雑談の中で僕はぶしつけに踏み込み、教員は重い口を開いた。末期がんだった彼の父上が、「おいお前、パソコンの操作を俺に教えないか」と懇願したこと。死期から逆算してパソコン修得を企て、家族写真で満たしたCDをすべての子孫に遺品として託したこと。ホスピスに響いた鐘はその直後というから見事だ。彼はその物語をユーモアに誘導するが、僕の奥底で決してついえることない埋み火となっている。こんなにも美しく尊い人生の総括があるのか、と。

担当学生の提案した建築は優れていた。周囲の風景を建築の内側へと導き、差し込む光で演出する。入居者の部屋はどれも同じに見えるが、ナースステーションからの距離により介護度の濃淡が異なることが意図された。僕は最後のチェックで図面を逍遥する。甘美な疲労がしばし集中を逸らす。階下の研究室ではあのCDに入り日が弾けているだろうか。指導の終了時間が迫る。しばし躊躇(ためら)い、ホスピス端部に構える扉をノックした。ナラのフローリング。木製枠の窓から美瑛の緩やかな丘が見える。キタキツネの足跡が雪の上に音符のように連なっている。よいのではないか。

その部屋の中には男の背中があった。死と向き合うことを畏れず逃げ道を断ち、少しでも手を緩めると閉じてしまう分厚い画像ソフトの取説本を片手に残された時間だけを祈り、うめき声のようなスキャナーの機械音が間断なく部屋中に響いていた。

(筆者は毎号交代します)