Column:本棚の一冊
2010年7月1日号
『雑兵たちの戦場ー中世の傭兵と奴隷狩りー』


既成観念を揺さぶる一冊
文学部歴史学科考古学専攻 北條芳隆教授



1995年のことである。本書に出会ったおかげで、私がそれまで漠然と抱いていた日本の戦国時代像は完全に崩壊し、まったく新しいイメージに塗り替えられた。たとえば、上杉謙信はなぜ冬場に関東各地に攻め入ったのか。食料が枯渇しかねない冬場の越後から大量の軍勢を関東に遠征させ、食料を現地調達させることによって、地元では口減らしの効果が期待できたし、遠征先で強奪の限りを尽し、女子供を奴隷として拉致することを許してやれば配下の侍や雑兵たちもうるおう。関東への遠征は、そうした経済行為であったというのである。つまり上杉謙信が戦国時代の英雄だというのは、配下の侍や雑兵たちを食わせるために、いかに勤勉であったかを示す指標でしかない。

戦国大名とは、そうした経済行為ないし生業としての戦争のオーガナイザーであることを宿命づけられた、というわけだ。そればかりではない。戦場の背後には、必ずといってよいほど奴隷市が立ち、雑兵たちが拉致してきた女子供を東南アジア方面に売りさばく商人たちの跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)する世界もあったという。たとえていえば、いま流行の中世バイキングを取り扱ったコミック『ヴィンランド・サーガ』そのものである。なお、農民の側も自衛の策をさまざまに講じていたらしい。たとえば「村の城」。山中に自衛のための砦を作り、有事の際にはそこへ逃げ込んで静かに「籠城」し、難を逃れたというのである。城主などはもともと不在で、村人共有の施設であったというのもとりわけ興味深い。

良著とは、読者が抱く既成観念を根底から揺さぶり、新たな価値を見開かせるだけの力を宿す作品のことを指すのであろう。日本の戦国時代史にはまったく素人の私にとって、本書はまさしく良著の典型であった。なお本書に出会った95年に、私はすでに学生ではなく、とある地方大学の助手であったことをお断りしておく。

『雑兵たちの戦場ー中世の傭兵と奴隷狩りー』
藤木久志著(朝日選書)

 
ほうじょう・よしたか 1960年長野県生まれ。岡山大学法文学部卒業。大阪大学大学院文学研究科史学専攻博士後期課程単位取得満期退学。専攻は日本考古学。著書に『古墳時代像を見なおす』(共著)など。