share

コラム

2010/08/01
何度も読み返した小説やマンガ、学生時代に読み込んだ教科書、人生を変えた一冊など、東海大学の先生方が大切にしている本を紹介します。

『家畜生化学(改訂版)』


「農楽博士」への一冊
生物理工学部海洋生物科学科 木原稔准教授



農家に生まれて自然の中で育った。もちろん名前の由来はみのりの秋だ。家には農耕用の牛がいて祖父が手綱を引いていた。国道を通るものだから、路上は糞だらけ。車が興味津々で徐行する。こんな姿がわが町で有名だった。町はベッドタウンとして発展の途にあり、小中学校には農業とは無縁の子が多かった。

多感なころは、農家であることをとても恥ずかしく思っていた。「農」という言葉に敏感だった。理科や社会が好きだったが、「農」につながる田んぼや牛が出てくる日の授業は憂うつだった。その言葉が出てくると、教室の仲間が一斉に私の方を向くような気がして、うつむいていた。指名されようものなら、教室から逃げ出したいくらいだった。そんな私が「農」学部に入るのだから、まったくいい加減である。

将来の夢もなく、ただ浪人したくない私は、受験できそうな大学・学部を片っ端から探し、東京の「農」学部を探り当てた。合格すれば東京で独り暮らしができる。あの野球部のユニホームに袖を通せる。不純な動機がすっかり「農」に勝っていた。そこへきて「農」に誇りを持っている父親が一言、「いいじゃないか」。これで人生が決まった。

大学にはヤギがいて、うまそうに草を食べていた。ふと、草だけを食べてなぜ大きくなれるのだろうと、その不思議が知りたくなった。昔は身近にいたのに思いもしなかった。「農」の恥ずかしさが消え、物事をまっすぐに見られるようになったからだろう。そこで栄養化学研究室の門をたたき、この本を勉強した。動物の体の中で起こっていることへの興味を開花させてくれた。いい加減を真剣にさせた。中は赤線だらけ。だから手放せない。今もちゃんと本棚の一冊である。

昔は農家を嫌った。でも農家の生まれで農学博士だから、ご先祖様にもなんとかお許しいただき、お喜びいただけているかと思う。ただ、田んぼや畑のことは何も知らない。そして今は魚を研究している。やっぱりいい加減だ。「農」という自然を相手にする仕事はつらい反面、刺激的で楽しい。だからこの先少しでも農にかかわって、“農が苦”ではなく“農楽”博士でありたい。学問を追究するのは苦しいことも多い。でもやっぱり刺激的で楽しい。だからこの先もいろんな勉強を続けたい。決して“脳が苦”博士にならないように。

『家畜生化学(改訂版)』
藤野安彦著(産業図書)

 
きはら・みのる 1964年福岡県生まれ。岡垣町(付属第五高校のある宗像市の隣町)出身。明治大学大学院農学研究科農芸化学専攻修了。博士(農学)。専門は消化管生理学。

本棚の一冊記事一覧

2021/09/01

『都鄙問答』

2021/08/01

『自分の中に毒を持て』

2020/09/01

『おめでとう』

2020/08/01

『暗夜行路』

2020/08/01

『ハーメルンの笛吹き男―伝説とその世界』

2020/08/01

『一九八四年[新訳版]』

2020/07/01

『42.195kmの科学 マ ラソン「つま先着地」vs 「かかと着地」』

2020/07/01

『シネマトグラフ覚書 映画監督のノート』

2020/07/01

『世界はうつくしいと』

2020/06/01

『宇宙のランデヴー』

2019/08/01

『予防医学のストラテジー』

2019/04/01

『殺人犯はそこにいる』

2019/03/01

『射影平面の幾何学』

2019/01/01

『源氏物語 上』 

2018/12/01

『古井由吉自撰作品三 栖/椋鳥』

2018/10/01

『出会い系のシングルマザーたち―欲望と貧困のはざまで』

2018/08/01

『現代語訳 論語と算盤』

2018/06/01

『バナナと日本人―フィリピン農園と食卓のあいだ―』

2018/05/01

『考えるヒント』

2018/02/01

『将棋の起源』

2017/08/01

『純粋理性批判』

2017/07/01

『ヨーロッパ統合』

2017/04/01

『TOKYO STYLE』

2017/03/01

『鉄道廃線跡を歩く 失われた鉄道実地踏査60』

2016/12/01

『現代・法人類学』

2016/10/01

『けっぱり先生』

2016/07/01

『陰獣』

2016/06/01

『宗教と科学的真理』

2016/05/01

『春の戴冠』

2016/04/01

『子どものからだとことば』

2016/03/01

『Principles of Chemical Sedimentology』

2016/02/01

『コンタクト』(上・下)

2016/01/01

『エンデュアランス号漂流』

2015/10/01

『マインド・コントロールの恐怖』

2015/09/01

『赤の発見 青の発見』

2015/08/01

『答えは必ずある』

2015/07/01

謎とき『罪と罰』

2015/06/01

『シルバ~アート 老人芸術』

2015/05/01

『変貌するチームリーダー』

2015/03/01

『おしゃれなエコが世界を救う』

2015/02/01

『かもめ』

2015/01/01

『経済史の理論』

2014/11/01

『キャッチャー・イン・ザ・ライ 』

2014/10/01

『愛の試み』

2014/09/01

『文明の衝突』

2014/08/01

『落日然ゆ』

2014/07/01

『ホーン岬への航海』

2014/06/01

『白鯨』(上・中・下)

2014/05/01

『電気化学測定法 上・下』

2014/04/01

『テレマン 生涯と作品』