Column:本棚の一冊
2014年7月1日号
『ホーン岬への航海』


厳しい航海に挑む覚悟

海洋学部水産学科生物生産学専攻 福井 篤 教授


海は移り気で情容赦のない婦人である
何びとも彼女の胸に安らぎを見出すことはない
そしてもし彼女を征服しようとするのならば
ひとはその持てる力すべてを注がねばならぬ
詠み人知らず

北西太平洋の外洋域で仔魚(しぎょ)採集に明け暮れていた大学院生のころ、この詩に出会った。ジャーナリストであるハル・ロス氏が夫人マーガレットとともに愛艇ウイスパー号で、サンディエゴを出帆。ガラパゴス諸島を越え、南米ホーン岬を回航し、バーミューダへ戻る。本書は、この大航海のうち、チリのバルディビアから南チリ沿岸の多島海を経て難所中の難所ホーン岬までの記録である。

この南にある辺境の海の過酷な自然とそこに住む人たち、そこに織りなす歴史物語が克明に記述される。そして最後に、「私たちは、私たちの住むすばらしい惑星――この地球の上に残された原始の世界の魅力ある一片を見ることができたのだ」と結ばれる。そこには商業主義的冒険の色は微塵もなく、真の冒険、探検の姿がある。

この本の中で、冒頭の詩が紹介される。多くの日本人が抱く海の印象と全く異なるだろう。人が生きるには過酷すぎる、熾烈極まりない南緯40度以南に位置する多島海地方で受け継がれてきたものだからである。でも、海に限らず、自然相手にしごかれた経験のある方なら、誰もが深い感銘を受ける。私は長い間、この詩を机に張りつけていた。

時が経ち、50代半ばをゆうに過ぎた。この詩の主題は「海」なのだが、海に限らず世の中のすべてのことに置き換えられることに気づく。ハル・ロス氏は、夢を抱き、実現するために最大限の努力を払い、座礁、愛艇の破損などの幾多の生死に直結する危機を乗り越え、夫婦の夢を実現した。強靭な精神力のもと、精緻な計画力と実行力、そして大胆な決断力があった故の成果であるが、この詩はそれらを忠実に物語る。

一昨年からだろうか。海洋学部水産学科の3年次に行われる1週間の海洋実習の下船時に、この詩を紹介している。ツールがいくらよくなろうとも、自然の厳しさや社会の過酷さは変わらない。むしろ、厳しくなる一方である。この詩が意味することは、激動する社会に旅立つ学生に、最もふさわしいものの一つだと思っている。


『ホーン岬への航海』
ハル・ロス著/野本謙作訳
(海文堂出版)

 
ふくい・あつし 1957年東京都生まれ。80年東海大学海洋学部水産学科水産資源開発課程卒業(鹿児島大学大学院水産学研究科修了)。専門は稚魚分類学。著書に、沖山宗雄編
『日本産稚魚図鑑第二版』(東海大学出版部)など。