Column:Point Of View
2014年9月1日号
新聞の論説に思うこと
文学部日本文学科 出口智之 准教授

毎朝、新聞を読んでいるといろいろ思わされる。世の中のこともそうだが、論説や報道のあり方についても、考えさせられるところがしばしばである。私の専門は文学だが、同じく言葉によって成り立つ新聞にも無関心ではいられない。ここ最近、特に気になっているのは、その新聞自体が打ち出した過去の論説に対する姿勢である。

たとえば震災以後、朝日新聞は脱原発の立場を明確に示している。それはそれでよい。脱原発の主張にはたしかに一理あると思われるからだ。問題は、同紙が震災以前にしばしば訴えていた温暖化対策の論説との向き合い方にある。

原発には、将来に残る放射性廃棄物や、人々から土地も生活も奪う事故リスクの問題があることは間違いない。だが、同紙はかつて気温の上昇や、海面上昇や砂漠化によって土地が失われることも、同じように問題視していたはずである。安定的な自然エネルギーの実用化がいまだめどすら立たない現在、脱原発とはすなわち化石燃料を燃やすということでしかないが、それがかつての論説と真っ向から対立することをどう考えるのか、はっきりと示されてはいないように思う。

さらに言えば、石油輸入の増大は貿易赤字を拡大し、また原油価格を上昇させて市民の経済的負担を増やすことになるが、それを同紙が頻繁に展開する、市民のさまざまな負担増大への警鐘とどう折り合いをつけるのかも明確ではない。

もちろん、これは単に原発問題だけでも、あるいは朝日新聞だけの問題でもない。各紙は後期高齢者医療制度の利点と問題点を公平に伝えていたか。民主党政権誕生時の評価は正確だったか。今なお記憶に新しいこうした問題について、各紙がかつての論説をどう捉え、今いかに引き受けるのかということが等閑視されすぎてはいないだろうか。

メディアの主力商品は危機感だから、常に新しい商品が売り出されるのは仕方がない。しかしこのような姿勢を続けていれば、必然的に論説の力や信頼性は低下する。そしてこうしたブレへの不信感が、読者の中に確実に蓄積してゆくように思われる。

言説の説得力は、主張を繰り返すだけでは生まれない。そこには、自らのあり方を見つめ続ける誠実さが不可欠なのではないかと思うのである。

(筆者は毎号交代します)