Column:知の架け橋
2015年2月1日号
「住を語る」
文学部アジア文明学科
内藤 耕 教授

災害と利便性の間で
ジャワの震災が問いかけるもの


2006年5月27日、ジャワ島中部をマグニチュード6・3の地震が襲った。私たちが1996年以来調査を続けてきた村も甚大な被害を受けた。7月、補講期間に入ったのを見計らって訪れると、復興はおろか片づけもままならない中、多くの人々が道路際や空き地にテントを張って生活していた。

しかし、よく見てみると木造の家屋は、そのほとんどが倒壊を免れていた。それに対して煉瓦(れんが)を積み上げて造られた家は、例外なく大きな被害を受けていた。筆者の調査村はどちらかといえば木造の住居が多く、犠牲者は約4千人の住民の中で5人ほどだった。だが、煉瓦積みの家が大半を占めていた隣村では、数百人もの人々が命を失った。揺れの周期にもよるが、木造家屋は地震に比較的強い。ジャワの伝統的建築様式であるプンドポは、たった4本の柱で大屋根を支えるような構造になっている。一見すると地震には弱そうだが、実際はプンドポ様式の家屋のほうが揺れに耐えていたようだ。

一方、煉瓦を積んで造られた家は、木造よりも「上等」な家として村の人々には認識されている。お金が貯まると木造から煉瓦造りへと建て替えていく。だが、鉄筋が入るわけでもなく、モルタルも不十分で、煉瓦は字義どおり「積まれている」だけに近いケースが多い。いってみれば積み木の家のようなもので、多少の揺れでも倒壊に至ってしまったようだ。

プンドポに代表される木造から煉瓦造りへの移行は、生活スタイルや人間関係の変化と並行している。本来のプンドポは壁がないオープンスタイルのもので王宮の儀礼などに使われるものであり、人々が集うことを前提としている。調査村の民家ではこの構造を板壁で囲んだり、周辺に小部屋を配した形式のものがよく見られた。家の真ん中に4本の柱によって支えられる天井高の空間があるわけだが、そこは家族・親族はもちろん隣保の人々も招かれ語らう場として機能してきた。

だが、煉瓦造りになるとほぼ例外なく家の入り口に面したところに応接間がしつらえられるようになる。もはや応接間すらなくなってしまった現代日本の家屋よりはましかもしれないが、家の近代化は明らかに内と外を分ける方向に向かっている。同じインドネシアでもジャカルタなどの大都会と比べれば、農村部ではまだまだ共同体の意識が根強いとはいえ、核家族化、個人主義化の流れはひたひたと押し寄せている。 ジャワ島中部地震の後、復興に向かった村で建てられた家は、少なくとも外見上は相も変わらず煉瓦積みの家が多かった。プンドポ様式に戻ろうとした家は私の知る限り、ない。

外国人である私が伝統的な木造家屋にノスタルジーを感じるのは勝手なことには違いない。プライバシーも十分に守られない村のねっとりした人間関係には、村人ならずとも息が詰まることがある。めったに発生しない災害よりも日々の暮らしの利便性を求める気持ちもわかる。それでも、新しい家が壊れ古い家が残った震災に、何か教訓めいたものを読まずにはおられない。

 
(写真)プンドポ様式で建てられた家屋の内部


ないとう・たがやす 1962年静岡県生まれ。慶應義塾大学大学院政治学専攻単位取得退学。外務省専門調査員、静岡英和女学院短大などを経て、2001年から東海大学教員。インドネシアのテレビ放送政策や伝統的市場の調査を行っている。