Column:知の架け橋
2018/07/01 「QOL」を考える
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2018年7月1日号
「QOL」を考える
農学部バイオサイエンス学科 永井竜児 教授

具体的な価値観と質をイメージして
自分自身が信頼のブランドになろう


Quality of life (QOL)のリレーコラムとうかがい安易に引き受けたが、〆切間際になってこれはなかなか難しいお題だなと感じた。その理由を、まるで貧乏自慢になってしまうが、私の学生時代の経験から説明したい。
 
私は修士課程時代、週に4回、朝5時から3時間のアルバイトで生計を立て、トイレが汲み取り式で、たまにネズミと目が合ってしまう古いアパートに2年間住んでいた。しかし、当時は選択肢がなかったからだろうか、自分のQOLが格別低いと感じた記憶が全くない。博士課程時代、日本育英会(現在の日本学生支援機構)から奨学金をお借りできることになり、朝のアルバイトを辞め、「水洗トイレ付き」のワンルームアパートに住めるようになった。初めは習慣で朝の4時ごろに「やばい遅刻する!」と飛び起きてしまうことが何度かあった。しかしアルバイトに行かなくてよいことに気づいて、早朝、ベッドの中でうれし涙が込み上げてきたことを覚えている。そのときの夢は、将来エアコン付きのアパートに住むことだった。
 
物理的にも精神的にも楽になり(QOLの向上)満足していたが、学位取得後、サラリーマンを20年近く続けていると、博士課程時代のQOLに自主的に戻ろうとは全く思わない。つまり、QOLが高いか低いかという考えは、実生活でQOLが変化したときに個人が感じるものであり、人さまに言われて決めるものではないように思う。もし誰かが「あなたのQOL低いね」と言ってきたら、私は笑顔で、余計なお世話だと思うに違いない。QOLの基準はその時代の社会体制や個人の経験に基づくものであるため、全人類の全世代に統一的な「QOLの基準」を設定することは困難であると感じている。
 
私は毎年、「現代文明論2」の講義で、「品質」という面で類似語の「ブランド」について、車を例に取って話している。メルセデス・ベンツやBMWは高級車の代名詞であるが、それらメーカーの上級車種が主に輸入されてくるので、どれもデザインは洗練されており大変魅力的だ。しかし、私が新車を購入する際に、何を優先したいかをまず考えた。
 
1,燃費の良さ、2,故障しにくさ、3,エンジン性能、4,高速安定性、5,金持ちに見られたいなど……。日本は高速道路でさえも最高速度は110キロ制限があり、狭い道路を走る際は、燃費面や発進停止の能力が非常に重要となるため、軽自動車が高度に発達している。つまり、日本では日本車の持つ特性の方が合っている?(私の先入観あり)と考え、苦学生を経験した私の重要選定ポイントは1と2に集約され、自分には日本車がふさわしいという結論に達した。日本車を購入後5年経つが、今でも自分に合っていると満足して乗っている。
 
ここで言いたいのは、ブランドはある程度「品質の保証」となるので重要であるが、やみくもに「ブランド品が欲しい」「高級輸入車に乗りたい」と訴えるのではなく、なぜそれが良いのか、自分の要求する質を有しているかなど、ブランド名に振り回されず、モノの良し悪しを判定できないといけないということだ。ブランド品を身につけて満足するのではなく、あれをやらせたら○○君にかなう人はいない、○○さんなら解決案を見つけてくれるに違いないと言われるよう、「自分自身が信頼のブランドになろう」という話で講義を締めくくっている。
 
これをQOLの話に言い換えると、自分の求める価値観がわからぬままに「QOL向上」のみを口にすると、単に「幸せになりたい」「お金持ちになりたい」と当然のことを叫んでいるのと同じになり、具体性が見当たらない。QOLを考えるにあたり、まずは自身で何に対してどのくらいの「質」を求めるのか、具体的な価値観と目標をイメージできることが必須に思う。それで初めてQOLという言葉が生きてくるのではないだろうか。
 
後で知ったのだが、QOL=生活の質、という言葉には、「生きがい」や「幸福感」という意味も含まれているらしい。つまりQOLを考えましょうという質問は、「あなたの生きがいは何ですか?」という質問にもつながるそうで、なるほどと妙に納得してしまった。
 

ながい・りょうじ 1968年神奈川県生まれ。帝京大学理工学部卒業、静岡県立大学大学院生活健康科学研究科修士課程修了、熊本大学医学部大学院第二生化学講座博士課程修了。博士(医学)。熊本大学医学部助教、日本女子大学講師などを経て2012年度から東海大学に着任。