特集:研究室おじゃまします!
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2019年8月1日号
隠された実像を解き明かす
科学の光で絵画を分析
創造科学技術研究機構 田口かおり 講師

ボッティチェリにゴッホ、ピカソや横山大観……。多くの画家による数々の名画は、美術館などで私たちの目を楽しませてくれる。鑑賞者の多くは、それぞれの見方で楽しんでいるが、そこに科学の目を導入したらどんなものが見えてくるのだろう? 最先端の光学機器を使って美術品を分析し、修復家としても活躍する創造科学技術研究機構の田口かおり講師に聞いた。

光学機器で絵画を分析すると何が見えてくるのか……。結論から言ってしまえば、「制作過程の作者の創意や苦悩、選んだ絵の具の種類、筆遣いの工夫、市場に出てからの変更・修復の跡など、肉眼では知り得ないありとあらゆる情報」だ。田口講師は、「光学機器の分析結果を組み合わせると、2次元の一枚の絵画が、制作時の時代背景や作者・購入者ら絵にかかわった人の思いを記 録した多次元の塊として立体的に見えるようになります。取り出せる情報の量と種類はきわめて多く、専門家的には有意義なのですが、すべてを公開しても一般の人には理解してもらえないほどなのが難点」と笑う。

たとえばX線や赤外線で絵画を撮影すると、下絵の有無がわかることがある。何度も書き直した跡があれば、画家が試行錯誤を重ねたことが見て取れる。また、斜めから作品に光を当てて写真を撮影すると、使われた手法や、経年の中で作品に起こった出来事、作品の状態がより鮮明になる。蛍光X線分析を使えば、絵の具の種類がわかり、作品の真贋を判別できるだけでなく、現在まで受け継がれる過程で行われた修復や改変の跡を見つけることも可能だ。

科学分析の結果を 修復に生かす
田口講師は分析結果を作品の保存修復や来歴研究に生かしている。

各地で開かれる美術展にコンサベーターとして協力することも多く、他の美術館などから借りた作品など年間数百点の状態確認や修復、安全な展示法のアドバイスを行っている。多忙を極めるが、「誰よりも近くで作品に 触れ、深く観察できる楽しい仕事」だという。その過程で、必要に応じてさまざまな分析を行い、必要に応じて修復する。

修復時に気をつけているのは、「今の状態をできる限り維持できるようにすること」だ。制作当時のようにきれいにすることでも、より美しく見せることでもない。

「人間のエイジングと同じようなもの。作品が時代の中で年齢を重ね、最後はなくなるのは止められません。だからこそ今の状態をできるだけ正確に知り、個々の作品に合った最良の方法を考える必要がある。『調査なくして修復なし』というのが私の考えで、修復よりも時間をかけている」と語る。

最良の環境を生かして 研究成果を積み重ねる

「修復に欠かせない分析に、東海大は最良の環境」とも話す。「高度な光学機器を比較的自由に使え、さまざまな分野の研究者が協力してくれる。他分野の先生から学ぶことも多く、とてもよい環境にあります」

今後の目標は、「膨大な分析データや、これまでの研究成果を一般の人にもわかりやすく伝えるとともに、作品の“履歴書”として後世にも残せる手法を開発すること」だ。今年3月から7月28日まで神奈川県箱根町のポーラ美術館で開かれた「印象派、記憶への旅」では、ゴッホの「草むら」など4点を科学分析した成果を作品とともに展示。6月に同館で行った講演には定員の50人を上回る市民が駆けつけた。

「参加者から『絵の見方が変わった』と言われるなど、大きな反響があった。今後はインターネットも活用しながら、さまざまな作品の研究成果を多くの人に伝え、絵画の奥深さに触れてもらえるような仕組みをつくり たい」と話している。



Focus
分野の境界が面白い



日本の大学を卒業した後、イタリアの州立修復家補資格を取得し、フィレンツェの工房で修復家として修業。その後帰国して大学院で学び研究者を兼ねるようになった、異色の経歴を持つ。

修復家の道に出会ったのは20歳のころ。夏休みにイタリアの修復工房での研修に参加したときに、工房主から「修復家に必要なスキルは、自分をどこまで消せるかだ」と言われ、衝撃を受けたのがきっかけだった。大学生といえばとかく、自分の能力や自分にできるこ とを考え、「自分らしさ」を発揮することが求められる時期。工房主の一言に、「自分を捨てることに一生をかけたらどうなるのだろう」と思うようになり、この道を志した。

大学卒業後、本格的に修業を始めて4〜5年経ったときに転機が訪れる。技術を磨くだけでは、「修復という学問・仕事の大きさを捉えきれない」との危機感が芽生えたのだ。培ったスキルや知識を体系的に捉え、整理し直したいと思うようになった。そこで一念発起。京都大学大学院に進学した。

それから現在まで、修復家兼研究者として国内外を駆け回っている。「双方の分野がぶつかるところに面白い発見があり、より大きな視野で作品と向き合えるようにもなった。1枚の作品を通して、人類の歴史のさまざまな側面と向き合うこともできる。これからもこの視 点を大切にしていきたい」

 
ゴッホが最晩年に描いた『あざみの花』をさまざまな手法で見た図。左上のの斜光線撮影画像では、ゴッホが描画に使った技法が際立って見える。一方、2つ目の透過X線画像では、下絵がなく、絵具で直接描いたことがわかる。また3つ目の紫外線画像では、丸で囲んだ部分が他と色味が異なり、後年に修復されたとわかる

たぐち・かおり 1981年生まれ。国際基督教大学教養学部卒業。フィレンツェ国際芸術大学絵画 修復科修了。約10年間フィレンツェの工房に勤務後、京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了。2016年より現職。博士(人間・環境学)。専門は保存修復史、修復理論。