特集:研究室おじゃまします!
2021年6月1日号
将棋棋士の脳内を分析
「プロ」になるための思考とは?

情報通信学部情報メディア学科 中谷 裕教 講師

藤井聡太二冠ら若手棋士の活躍で近年注目を集める将棋界。一つひとつの局面で約80通りの指し手が可能性として挙げられ、その先の展開を読みきらなくては勝利できないプロ棋士は、常人では考えられない何手も先の指し手まで考え抜くという。このとき、その頭の中では何が起きているのだろうか? 将棋棋士の思考を脳科学の分野から研究する情報通信学部情報メディア学科の中谷裕教講師に聞いた。

「将棋のある局面をぱっと見たときに、人間の脳はどの部分が働いているのでしょうか。また、プロ棋士とアマチュアではどこが共通し、どこが違っているのでしょうか――科学的な視点から分析し、解明することでエビデンスを得られれば他分野の学習や教育活動に生かせると考えています」と中谷講師は話す。

これまで取り組んできたのが、狎茲療験を読んでいる〞状態における脳活動の調査だ。理化学研究所脳科学総合研究センターに所属していた2007年から5年間、日本将棋連盟や富士通などと共同で展開した「将棋思考プロセス研究プロジェクト」で中心的役割を果たした。プロ棋士をはじめアマチュア高段者を被験者として、詰将棋を解いている最中の脳波測定やMRI検査を実施。棋士たちが積み重ねてきた経験則を瞬時に引き出す能力である「直観力」が、脳内のどの部分の働きによるものなのか解析することを目指した。

「目から入った盤面の情報が視覚野から知覚や空間イメージを司る楔前部(けつぜんぶ)に送られることで盤面を把握し、直観を担う尾状核(びじょうかく)で次の一手を導き出していることがわかりました。プロは長年にわたるトレーニングの結果として尾状核を活用しているのです。プロ、高段者に共通するのは 計画的な思考。これができてこそのエキスパートだと考えられる結果でした」と振り返る。

将棋に限らず、スポーツや音楽でも何かしらのプロとして活躍するためには10年ルール〞と呼ばれる法則がある。1日3時間のトレーニングを10年続けると1万時間を数え、プロとしての能力を身につけられるという。これまでの実験を通じて、厳しい修業を乗り越えてきた被験者を爐垢瓦〞と思い続けてきた中谷講師は、続く研究テーマに「他者に抱く尊敬の感情」を設定した。

「尊敬」はどこから来るのか? 多角的な分析を続ける
プロになるための厳しいトレーニングも、誰かを「尊敬」する気持ちがあるからできることなのでは? そう考えた中谷講師はMRI装置を用いた脳機能イメージング実験で、行為に焦点を当てた尊敬と人物に焦点を当てた尊敬の感情を抱いた際の脳の動きを調査。その結果どちらの「尊敬」にも、主に意味記憶と呼ばれる知識や概念に関する情報に関する側頭極前部と、自分自身を基準に他者を評価する機能を担う帯状回後部が関与していることを解明した。

「尊敬感情の抱きやすさには個人差があります。被験者にアンケートや脳機能イメージング実験を行ったところ、尊敬感情を抱きやすい人は、そうではない人に比べて側頭極前部の灰白質の容積が小さいという結果が得られました」と語る。この成果は昨年8月に国際学術誌『Frontiers in Human Neuroscience』にも掲載された。

昨年10月からは東京大学や早稲田大学といった将棋の強豪大学に所属するアマチュア棋士らの協力を得て、将棋思考プロセスの研究も再開した。「将棋の思考に関する研究に心理学や言語学、宗教学などの見地も交えて研究対象を広げています。プロになれる人となれない人の違いは何か、さらにプロになった人の学習はどのように定着したのか、脳科学の視点から明らかにしていくことが目標です」



Focus
コンピューター研究から脳科学へ目指すは人に寄り添うロボット



「子どものころから『ドラえもん』が好きで、コンピューターを学びたくて大学では電子工学を専攻しました。当時出始めていたAIに興味があったことも大きかった。でも、コンピューターってそんなに賢くないんですよね(笑)。言われたことはできるけど、臨機応変さがない。そのうち人間の脳のほうに関心が向かったことで、大学院修了後にはゼロから勉強し直そうと脳科学の道に進みました」

人間はコンピューターと比べて何が賢いのか?コンピューターは大量のデータを高速かつ正確に処理できるが、人間が普段行っている直観的な判断はできない。情報通信技術は社会を支えるインフラだが、人間のような知性や感性は備えていない。「脳がどのように情報を処理するのか、その仕組みを理解することで、ゆくゆくは人間のような知性と感性を備え、コミュニケーションをとれるドラえもんのようなロボットを実現させたい」

脳を理解するために、さまざまな分野の研究に幅を広げたいと意欲を語る中谷講師。「枠にとらわれないで自由に考えるからこそ、他人がやらない研究につながっていると考えています。具体化に時間がかかるからこそ面白い」

 
なかたに・ひろのり
1973年宮城県生まれ、東北大学工学部卒業。同大学院博士前期課程、後期課程修了。博士(工学)。理化学研究所研究員、東京大学助教を経て、2019年より現職。将棋の駒の産地として知られる山形県天童市の隣町で育ち、将棋はアマ初段クラスの腕前。