Column:本棚の一冊
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2020年9月1日号
『おめでとう』
西暦二千二十年のわたしたちへ
情報技術センター 田口かおり 講師
川上弘美『おめでとう』は、掌編12本からなる短編小説集だ。小説のなかには、一風変わった男女が飄々(ひょうひょう)とあらわれる。
たとえば、樹齢100年の桜の木のうろに住み始めた恋人(『運命の恋人』)。めんどりを連れて公園をうろつく男(『ぽたん』)。恋人の「元恋人」の幽霊に取り憑(つ)かれた女(『どうにもこうにも』)。それぞれの小説はこんな書き出しで始まる。
「恋人が桜の木のうろに住みついてしまった。」
「芙蓉(ふよう)の花が枝から落ちたので、驚いた。」
「モモイさんにとり憑(つ)かれたのが去年の七月である。」
簡潔にして、奇妙。私はこの短編集を、20歳の時に読んだ。
川上弘美の小説に出てくる人物は、たいがい風変わりな人生を送っていながら、とても冷静である。異形のものが入り混じり、時空が歪(ゆが)む物語のなかで、文章は静かに凪(な)ぎ、皆、淡々と生きている。突拍子もない出来事を前にして、冷静な人たち。このなんとも言えない「ずれ」に笑ってしまったり、時に救われたりする。生きているって妙なものだな、と20歳の私は思ったのだった。
川上弘美の小説を読む時、わたしたちは「わたし」というとりとめのないものと出会い直すことになる。そもそも「生きている」って、なんのことだっけ。「わたし」って、いつからいたんだったかな。そんな風に、世界や自分というものの縁取りがゆるゆると氷のように溢(あふ)れていく。なんだか不安になり、少し哀しくなり、あたたかな泥に潜り還っていく安心感も覚える。物語の世界を通り抜けることで「わたし」が溶かされ、固め直されたかのような気持ちになれる。この感覚こそが、小説を読むことの醍醐味(だいごみ)であり、川上弘美『おめでとう』を再読する喜びであるように思う。
西暦三千年一月一日のわたしたちへ、と題された最後の小説『おめでとう』は、荒廃した未来の「トウキョウ」近郊で書かれた「手紙(詩)」という体裁をとっている。
「忘れないでいよう、とあなたが言いました。何を、と聞きました。今のことを。今までのことを。これからのことを。」
西暦二千二十年、人類は大きな困難に見舞われている。そんな今にあっても、人を好きになること、呼吸をしていること、未来をおもうこと。そのすべてを言(こと)祝(ほ)ぐ力が、『おめ
でとう』には詰まっている。
『おめでとう』
川上弘美著
新潮社
※写真は2003年刊の新潮文庫版