Column:Interview
2021年10月1日号
東海柔道で世界と戦う
東京五輪柔道男子で史上最多5個の金メダル
日本の“お家芸”復活へ導いた


柔道男子日本代表 井上康生 監督
(体育学部教授、男子柔道部副監督)


東京五輪の柔道男子日本代表は、個人では史上最多の5個の金メダルを獲得し、新種目の混合団体でも銀メダルを手にした。金メダル0に終わったロンドン五輪後に代表監督に就任してから9年。選手に寄り添い、信じ、力を引き出してきた井上康生監督に、東京五輪までの歩みと思いを聞いた。

――日本代表は東京五輪で“お家芸“復活を印象づける活躍を見せました。
新型コロナウイルス感染症の拡大が収まらない中での東京五輪開催に賛否両論の声はありましたが、医療従事者をはじめエッセンシャルワーカーや大会関係者の方々の支え、そして声援を送ってくださる多くの方々のおかげで試合をすることができました。コロナ禍であらためて、今まで当たり前にできていたことが決して当たり前ではないと痛感したからこそ、選手も私自身も試合ができたことに心から感謝しています。

卒業生で60キロ級の眛D昭(体育学部2015年度卒・パーク24)と100キロ級のウルフアロン(同17年度卒・了寺大学職員)も金メダルを獲得しましたが、メダル以上に2人の試合は多くの人に感動を与える内容だったのではないでしょうか。我々の究極の目的は“柔道を通じた社会貢献“。東京五輪を通して少しでもそういったものを感じていただけたらなによりです。

――2選手ともに付属高校から東海大学に進学し、“東海柔道”を学んできました。
眛は付属相模高校中等部から相模高、東海大と進み、ウルフは付属浦安高校、東海大、大学院体育学研究科と歩んでおり、2人とも今なお練習拠点は湘南校舎の武道館ですし、私自身も相模高、東海大、大学院と進んで男子柔道部の副監督を務めていますから、東海柔道、東海魂を脈々と受け継ぎながら、伝統ある柔道部を築き上げてきた自覚と責任があります。東海大だからこそ多くのことを学べました。柔道の強さはもちろんですが、勝利だけを追い求めるのではなく、柔道を通じた社会貢献という目線を持ち、競技の先をも見据えた教育だからこそ、日本一、世界一の選手を多く輩出してきたのでしょう。私自身、先人たちの姿を見て、感じて育ちましたから、指導においてもまさしく東海イムズを継承しています。

――卒業生の古根川実男子コーチ(体育学部00年度卒・大阪府警察)も軽量級担当として日本代表に貢献しました。
彼は私の大学時代の同期で、苦しいときも常に支えて助けてくれましたし、そのサポートなくしては9年間、代表監督として戦い続けることはできなかったでしょう。前回、リオデジャネイロ五輪は眛と海老沼匡という2人の優勝候補を抱えていたにもかかわらず、どちらも銅メダルに終わっていましたから、東京五輪は彼にとってもリベンジを期した大会でした。

リオ五輪と同じネクタイをしてコーチボックスに立ち、眛、阿部一二三(パーク24)ともに金メダルを取った。そのネクタイをコーチ陣がタスキのようにつないで、最後まで使わせてもらいました。今回の柔道界の活躍、日本全体の勢いや流れを生んだのは眛や阿部の活躍はもちろんですが、古根川コーチの力なくしては成し得なかったと思います。

――代表監督に就任した際、「自立した選手」を育成方針の柱に掲げていましたが、当時と今のチームではどのように変わったと感じていますか?
就任当時から自立心を持った選手たちが集まっていましたが、世界を目指すうえでは彼らのよき個性を伸ばしていくために、自主自立という観点から強化していくことが大切だと感じていました。それぞれの考え方を全面的に尊重し、信頼して物事を進める、こちらから指示するのではなく、彼らがどうしたいのか、どう動きたいのか、どうすべきなのかを自分自身で考えていける環境をつくることを心がけました。

また、日本代表と所属チーム、選手自身が三位一体となってスクラムを組んで強化できる体制を構築していくために、マネジメントにも重きを置きました。東海大を例に挙げれば、眛やウルフ、リオ金メダリストのベイカー茉秋(体育学部16年度卒)、銅メダルの羽賀龍之介(大学院体育学研究科15年度修了・旭化成)らは男子柔道部の上水研一朗監督(体育学部教授)らが手塩にかけて育ててきた選手です。彼らが最高のパフォーマンスを発揮するためには、所属先の先生方の力や環境なくしてはあり得ない。互いが協力し、よりいっそうチーム、選手のレベルを上げていくことが大切になるのです。―茶道や書道、陶芸、自衛隊の降下訓練を取り入れるなど、ユニークな練習方法にも注目が集まりました。

さまざまなことを経験し、オープンマインドになってもらいたいというのが一番の目的でした。我々にとって柔道のスペシャリストであることが絶対的に必要な要素ですが、それだけではいけない。自身の固定観念の中で「これは必要ない」「ここが限界だ」と決めつけてしまったらそれまでですから、常に新しいものに挑戦することで、彼らの個の能力をより引き出せるのではないかと考えました。挑戦して、いらなければそれはそれでいいんです。話題性を持ちながら、柔道界の今後を担う選手や指導者に向けて発信することも目的でした。

――大会では全日本柔道連盟の「科学研究部」のサポートも光りました。
データ&テクノロジーが選手の能力や勝率、柔道の発展に大きな力を発揮すると感じていたので、過去の試合映像から海外選手が柔道着を持つ位置や仕掛ける技などを分析したデータを提供してもらい、事前に細かなシミュレーションをして、試合が始まってからは新しい情報をいち早く届けてもらうことで迅速な対応ができました。

私が21年前にシドニー五輪で金メダルを獲得したときはデータ&テクノロジーはまだ一般的ではありませんでしたが、当時の代表監督だった山下泰裕先生(副学長、日本オリンピック委員会会長)は、今ほど一般的ではなかったウエートトレーニングを導入するなど、最先端の技術を取り入れて指導してくださいました。幼いころから一貫して尊敬するのは山下先生であり、その影響は大いに受けています。

――山下副学長の活動を引き継ぎ、NPO法人「JUDOs」として「IOCオリンピックソリダリティ奨学生」の湘南校舎を拠点とした練習もサポートし、今大会には6選手が各国代表として出場。女子63キロ級のアンリケ・バリオス選手(ベネズエラ代表)は5位に入賞しました。
彼女らの活躍を見て、柔道が世界的なものになったことを一柔道家として非常にうれしく思うとともに、世界中の選手たちが切磋琢磨し、互いを成長させ、その国の子どもに夢や希望を、世界中に感動や力を与えるのではと期待しています。

今大会、日本代表は混合団体で銀メダルとなりましたが、これまでの日本は個人戦で負けることはあっても、総力戦で負けることは絶対になかったと思います。しかし決勝で対戦したフランスは抜群のチームワークを誇り、完敗だったと認めざるを得ません。柔道創始者の嘉納治五郎先生や国際柔道連盟会長などを歴任した松前重義先生は、私に「もうちょっと頑張れ」とげんこつをくださるかもしれませんが、一方で、柔道がこれだけ国際的なスポーツになったことを喜ばれているのではないでしょうか。

――海外の選手が自国の格闘技を取り入れた「JUDO」を展開する中、日本の柔道はどうあるべきだと考えますか?
今大会ではゴールデンスコア方式の延長戦にもつれ込む場面が多かったのですが、丁寧かつ我慢強く戦えたことが勝因の一つだと感じています。しかし今回はそれが通用しましたが、次もそうとは限らない。柔道の魅力はやはり技にあると思いますので、そういった面をあらためて強化していく必要があるのではないかと感じています。

――今大会で監督を退任されますが、今後の柔道界にどうかかわっていくのでしょうか。
……どうしましょうかね(笑)。選手強化には携わりますし、柔道の魅力が発信できるような仕事や、柔道を通して世の中に恩返しができるような取り組みもしていきたいと考えています。大会を終え、選手たちから胴上げされたときは、このチームで戦えたこと、監督をさせてもらった喜びでいっぱいでしたし、ホッとした気持ちや疲れたなという思いもありましたが、休みたいとは思いません。ここからまた先の人生が始まっているので、ここまで歩んできたことを次のステージで生かしたいと思います。

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YouTube東海大学新聞編集部チャンネルで井上監督のインタビュー動画を公開中。ぜひご覧ください。


 
いのうえ・こうせい 1978年5月15日、宮崎県生まれ。体育学部武道学科卒業、大学院体育学研究科修士課程修了。100キロ級の選手として世界選手権3度優勝、シドニー五輪金メダル。2008年に現役を引退し、イギリス留学を経て11年に全日本強化コーチ、12年11月に代表監督就任。東海大男子柔道部では副監督を務め、「熱意」「創意」「誠意」を大切にして指導にあたる。