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2011年5月1日号
相模高野球部 11年ぶり選抜V
昨夏の甲子園、秋の神奈川県大会、関東大会とすべて準優勝。あと一歩で涙をのんできたチームがついに、日本一まで上り詰めた――。付属相模高校が3月23日から4月3日まで阪神甲子園球場で行われた第83回選抜高等学校野球大会に出場。エース筑川利希也選手(現Honda)らを擁して初優勝した2000年以来2度目の優勝を遂げた。

東北地方太平洋沖地震からわずか12日後の開幕。主催者から応援自粛などが通達され、「いつもと違う雰囲気で、最初は戸惑った」と近藤正崇選手(3年)は振り返る。それでも、「自分たちに今できるのは全力でプレーすることだけ。いつも通り、プレーに集中しようと話し合った」。

打線は大会通算74安打の新記録を打ち立て、守備では5試合で失策1と堅守を披露した。「開催することを許してくれた被災地の方々に本当に感謝しています」と佐藤大貢主将(3年)は語る。「勇気を与えるのではなく、勇気をもらいながら戦った大会だった」。選手たちは静かに、野球ができる喜びをかみしめていた。

“フォア・ザ・チーム”で日本一
「日本一への要因は決して一つではないけれど、うちのテーマの一つでもある“フォア・ザ・チーム”を体現できた。選手一人ひとりが自分の役割を全うして、チームの勝利に向かえたことが大きい」と門馬敬治監督(相模高教諭)は言う。

今大会、1回戦では庄司拓哉選手(2年)が、2回戦では長田竜斗選手(3年)が公式戦初登板初先発のマウンドに上がった。共に当日告げられたという初先発。長田選手は「もちろん準備はしていましたし、やってやろうと思いました。でも、さすがに初回は緊張しましたね」と苦笑する。

誰もが初戦はエース近藤正崇選手(同)が登板すると思っていた。だが門馬監督は「背番号1を背負う責任と、自分が投げなきゃいけないという思い、そこに初戦という重圧を加味すると、近藤を先発させることが必ずしもベストではないと思った」と振り返る。さらに「庄司も長田も冬の間、練習を休むことなく地道に努力してきた。勝算はあった」とも。期待に応えるように、庄司選手が中国大会覇者の関西高校を6安打に封じれば、長田選手は大垣日大高校を5回まで1失点に抑えてみせた。

記録づくしの攻撃陣
初登板の2人を援護しようと、打線も初戦から奮起。「本当はあまり打つチームじゃない」と監督、選手は口をそろえるが、大会通算安打を72年ぶりに塗り替え、大会新の113塁打をマークした破壊力は本物だ。

1回戦でいきなり10安打を放って9得点をあげると、2回戦では臼田哲也選手(同)の4安打を含む20安打で春夏甲子園通算30勝目を飾った。準々決勝では一転、九州大会覇者の鹿児島実業高校相手に決定打を欠いたが、今大会初先発の近藤選手がわずか1時間35分で完封勝ち。ボークと渡辺勝選手(同)の犠飛で得た2点を守り抜いた。続く準決勝では再び打線が魅せる。4回に森下翔平選手(2年)が左翼席へ、7回に田中俊太選手(3年)が右翼席へ史上初となる1試合2本の満塁弾をたたきこんだ。

打力の裏に堅守あり

そして迎えた決勝戦。「昨夏の甲子園で準優勝に終わって、次は絶対日本一を取るんだという気持ちがチームを一つにした。練習から雰囲気が違った」と田中選手は言う。佐藤大貢主将(同)と菅野剛士選手(同)の本塁打などで5点のリードを奪い、昨夏の雪辱を果たした。5試合でチーム打率4割、74安打、46得点。先発全員安打や、選抜では初めてとなる2度の20安打を記録するなど打線の活躍が目を引くが、「しっかり守れたことが一番」と門馬監督は言う。

猛打の裏には安打性の当たりを幾度となくさばいた遊撃・橋本拓磨選手(同)らの堅守があり、4投手の良さを引き出した佐藤主将のリードの裏には、相手打線のデータ分析を徹底した部員やコーチの存在があった。「フォア・ザ・チーム。チームのために、あなたは何ができますか?」という門馬監督の問いに一人ひとりが答え、チーム全体でつかんだ日本一だった。

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甲子園で、テレビの前で… 選手に届け! 応援団の大声援
吹奏楽部の演奏も、チアリーダーの踊りもない。“いつも”と違う雰囲気が、甲子園球場を包んでいた――。

今大会は東日本大震災を受け、主催者から鳴り物の禁止などが通達された。大金眞人校長は、「いまだ1万人以上の方が行方不明になっている中で、私たちは被災地でもある関東の代表として選ばれた。学校からの応援バスなどもすべて自粛することにしました」と話す。

昨夏の甲子園では、数十台のバスで駆け付けた応援団がスタンドを埋め尽くした。だが今回は準決勝になって初めて、学校代表として応援委員会の生徒と野球部の控え部員だけが新幹線で球場入り。チアリーダーの砂川晴香さん(3年)は「新曲も練習していたので、自粛が決まったときはショックでした。でも、声だけでも応援できてよかった」と言う。制服姿でメガホンを手に、声で応援歌を奏でた。

さらに、相模高ナインが大会期間中に付属仰星高校のグラウンドを借りていた縁もあり、準決勝には同校野球部の選手たちの姿も。吉本光輝主将(同)は「全校応援ができない中で、学園の仲間として少しでも力になれればと思った」と語る。決勝戦当日には、生徒や近隣住民ら約600人が相模高に集まって応援した。甲子園で、テレビの前で、選手に届けと送られたたくさんの声援が、日本一へと後押ししていた。

 
(写真上から)
▽決勝戦3点リードの5回、2点本塁打で試合を決めた佐藤主将。平成以降最多タイの13打点をマークするなど4番として大活躍した
▽近藤選手は昨秋の公式戦をほぼ一人で投げ抜いたが、11月に左足首を手術し投球を再開したのは2月。「ほかの投手が支えてくれたから、優勝の瞬間にマウンドにいられた。感謝したい」
▽昨年春夏の甲子園はスタンドで見ていたという橋本選手。鉄壁の守備はもちろん、打っても3割6分8厘と結果を残した
▽応援団長の黒田幸大さん(3年)は、「楽器の音がなくてリズムが取りにくいけれど、みんなで協力して盛り上げたい」と話していた