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2019年2月1日号
卒業生からも祝福の声
46回目の出場でついに東京箱根間往復大学駅伝競走の頂点に立った陸上競技部駅伝チーム。1973年に初出場を果たし、2005年には往路初優勝を果たすも、総合成績ではあと一歩のところで涙をのんできた。駅伝チームの歴史を当時の選手の声とともに振り返る。

箱根路初出場に導いた1年生エース
宮田将美さん(政治経済学部卒)

「湘南校舎の近くを走る箱根駅伝に東海大学が出ていないとは何事か!」。松前重義博士の一言で1972年の春、高校時代に実績を残した5人の選手が駅伝チームに入部しました。そのうちの一人だった私は1年生エースとして、同年の予選会に出場。本戦出場を決めました。

初めての箱根駅伝は「花の2区」。しかし、区間14位という厳しい結果に終わりました。あまりの苦しさに記憶は3区へタスキを渡す瞬間しかなく、レース後は救急車で病院に搬送される始末でした。

その悔しさから、練習に打ち込んだ私は、2年時の関東学生対校選手権大会2部で5000メートル、1万メートル、20キロの三冠を達成。翌年の箱根駅伝では1区を任され、チーム史上初の区間賞を獲得することができました=写真。箱根駅伝を走り、チームの歴史に名前を刻めたことは今でも私の誇りです。

そして46回の出場を数えた今年、待ちに待った瞬間が訪れました。今年度のチームは非常に力があり、勝てると信じていましたが、決まった瞬間はうれしくてうれしくて……言葉がなかった。

来年度は箱根駅伝だけでなく、初の学生駅伝三冠を達成してほしいと願っています。両角速駅伝監督(体育学部准教授)や選手たちの頑張りを、卒業生としてこれからも応援しています!


チーム初の往路優勝に貢献
越川秀宣さん(体育学部卒)

私はテレビでレースを見ていましたが、総合優勝が決まった瞬間は、卒業生の一人として本当にうれしかった。

2005年大会で5区を任され=写真、往路優勝のゴールテープを切りました。実は走る予定だった選手が大会直前に故障してしまい、急きょ、駅伝主将だった私に白羽の矢が立ちました。山登りはとにかくきつく険しいものでしたが、仲間たちが首位でつないできたタスキをかけていることを励みに駆け抜けたのを覚えています。チーム初の往路優勝に貢献できたことは、私の陸上競技人生の中でもかけがえのない思い出の一つです。

総合優勝を果たした今年度のメンバーたちは当時の私たちとは比べられないほど、素晴らしい走りを見せてくれました。全選手がミスなく走るのは簡単ではありません。両角駅伝監督や選手たちが想像できないほどの練習や調整をしてきたからこその結果でしょう。

私は今、中学校の教員をしながら未来の箱根ランナーを育てています。生徒とは年齢も離れており、私が走っていたことはほとんど知りません。ただ、今回の優勝で、生徒たちにもあらためて胸を張って、自分の現役時代について話すことができます(笑)。

総合優勝を果たした後輩たちに感謝するとともに、この優勝からさらに常勝軍団へと歩みを進めてほしいと思います。


箱根駅伝2区で17人抜きの快走
村澤明伸選手(体育学部卒・日清食品グループ)

私が現役時代に着ていたスカイブルーのユニホームも変わり、見違えるほど強くなった東海大の姿に、「本当に自分がいた大学なのか」とも思いながら、当日のレースを見ていました。

私は両角駅伝監督の指導を高校時代に3年間、大学時代に2年間受けましたが、大学の監督になった当時は、大学生ランナーに対する指導に戸惑っているようにも見えた瞬間がありました。しかし、総合優勝を果たしたチームを見て、「ようやく理想のチームをつくり上げたんだな」と感じました。

私は2年時に2区で17人を抜く=写真=貴重な経験をした一方で、4年生のとき、箱根駅伝予選会で敗れ、本戦出場を逃してしまいました。今回の優勝後のインタビューで、両角駅伝監督が「あの敗戦もチームの財産として、優勝につながる一歩だった」と話していたのを聞き、申し訳ないと思うと同時に、その言葉がとてもうれしかった。

来年度は、学生駅伝三冠を目指すと聞いています。成し遂げてくれると思う反面、駅伝だけをゴールにしてほしくない。駅伝だけを目指してスタミナなどを強化しては、自身のよさが消えてしまうと思うからです。

トラックシーズンで自身の個性を磨き、一人ひとりの持ち味がかみ合ったときこそ、東海大史上初の三冠につながるのではないでしょうか。

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