コラム
2020/08/01
美しい文章に出会う喜び
海洋学部海洋文明学科 山田吉彦 教授
学生時代、いつも本を読んでいた。特に、フィクションが好きだった。ノンフィクションでは、矛盾点があると気になり検証をしてみたくなってしまう。その癖は、今も抜けない。
検証癖のある私の17冊の著作は、すべてノンフィクションである。実は、1度だけフィクションを書いたことがある。その作品は第3回海洋文学大賞小説部門佳作に選ばれ、受賞作品集にのみ掲載されている。しかし、その後、満足できる日本語で創作することができず、フィクションを書くことができないでいる。
子供のころから旅好きで、ゼミは経済地理学を選択した。それが、現在の海洋経済学を専門とすることにつながる。
時間ができると、読んだ本の舞台となっている場所を訪れる旅に出た。亀井勝一郎『大和古寺風物誌』の奈良、遠藤周作『沈黙』の長崎、松本清張『砂の器』の亀嵩など、遠くはアルフォンス・ドーテ『風車小屋だより』のフランス・アルル地方まで行った。
大学4年のとき、志賀直哉の『暗夜行路』を読み、この本に出会うのが遅すぎたことに後悔した。そこには、美しい日本語がふんだんに散りばめられていた。どうしたら志賀直哉のように美しい言葉を駆使することができるのだろうか。未だに、その答えは見つからない。
暗夜行路の舞台である鳥取県の大山に登った。文中に大山から日本海を望む以下の表現がある。
「中の海のむこうから海に突き出した連山の頂が色づくと、美保の関の燈台も陽を受け、はっきりと浮び出した。……」
これを読んだとき、脳裏に情景が鮮明に浮かんだ。まるで、私自身が早朝の大山の頂に立っているようだった。そう思うと、現場に行き、その景色を見なければ気がすまなくなってしまった。
実際に大山に登ると、時代も移りかわり形状は違うところもあるが、脳に刻まれた印象そのものの光景があり、文章の持つ魔力を感じ鳥肌がたった。
暗夜行路には、人生を左右するほどの名文が散りばめられている。
「大地を一歩一歩踏みつけて、手を振って、いい気分で、進まねばならぬ。急がずに、休まずに」
この文のイメージは十分に湧くのだが、実践することはなかなか難しい。私が自分自身に出した課題の一つだ。
『暗夜行路』
志賀直哉著
新潮文庫
やまだ・よしひこ 1962年千葉県生まれ。埼玉大学大学院経済科学研究科博士課程修了。博士(経済学)。第15回正論新風賞受賞。著書に『完全図解 海から見た世界経済』(ダイヤモンド社)など。2019年度から静岡キャンパス長。
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