Column:本棚の一冊
2020年7月1日号
『世界はうつくしいと』


世界はうつくしいと
教養学部芸術学科美術学課程 吉村維元教授



物心ついた時には既に包囲されていた。代償や対価。作為と刷り込み。
人が他人を、本当に心から解(わか)ることはできない。その所為(せい)か……
だからといって絶望し、みんなにサヨナラすることはできなかった。
自分自身に夢中で、充足するための欲望と情熱に満ちていたから。
そこでとりあえずは言葉を信じた。
でも、その無分別で際限のない様に嫌気がさして、途方に暮れた。 
疲れ果てて傷ついて、深く眠って見た夢。……そして僕は旅に出た。
照り付ける日差しの下、白く乾いた道を歩く。
木陰を見つけては休み、恣意(しい)的で漠とした憧れを道標(みちしるべ)に……
とにかく肉体を酷使した。出会うモノ悉(ことごと)くに直に触れるため。
おかげでいつも論理が足りていなかった。飢えて乾いたスパルトイ。
方々彷徨(さまよ)って辿(たど)り着いた場所。給金で初めて自分で買った果実。
ほのかに甘く優しく香る。官能的な色と艶。ヴェルヴェットの触感。
そして身動きそうな佇(たたず)まい。飽くことなく眺め、なかなか食べられ
ずにいた。
船乗りの祖父、看護婦の祖母。初孫を大層(たいそう)可愛(かわい)がった二人は少年期に。
その後、随分(ずいぶん)時が経って父が亡くなり、事の順序を覚えた。
それから漸(ようや)く探し始めた欠片(かけら)。ずっと求めてはいたような……。
欲しい時には見つからない、だから探し物。

運良く折好(おりよ)く見つけたと思ったのは気のせいか……。
でも、本当に心から解り合うことが不可能だとしても信じることは可能だ。
見えるものと見えないもの。
世界は計り知れない諸要素が入り交じり、絶妙な均衡で組成されている。
そこで生じる(た)モノの無作為性は矮小(わいしょう)なヒトの思惑、その臓腑(はらわた)を抉(えぐ)る。
所詮(しょせん)は昼寝する野良犬の日除け、伸びる草木の風除け、野鳥の巣。
詳(つまび)らかにすることに疲れたオジサンの言い訳。しみったれたプライド……
なんかちょっと格好悪い。

パトスはあたかもマグマ。古(いにしえ)より脈々と途切れぬ通奏低音。
猛々(たけだけ)しく噴出しては触れるもの全て溶解し、容赦なく燃やし尽くす。
やがて激しく獰猛(どうもう)で無分別な無際限は……
ただ、その猛りをイデアやカノンのごときで鎮め、ベクトルを定め。
そして惜しみないメチエに依(よ)れば……
芸術というフィルターで濾過(形象化)されるならば……
誰もが口に運べる清澄(せいちょう)な水となる。不可欠な水。
音 色 カタチ  そして言葉(祈り)
もしも  望み 叶(かな)うならば  それに棲(す)む魚になる
その時   世界はうつくしいと

『世界はうつくしいと』
長田弘著
みすず書房

 
よしむら・まさゆき 1971年東京都生まれ。金沢美術工芸大学大学院修士課程彫刻専攻修了。修士(芸術学)。専門は彫刻。