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特集

2025/01/01
研究室おじゃまします!
各分野の最先端で活躍する東海大学の先生方の研究内容をはじめ、研究者の道を志したきっかけや私生活まで、その素顔を紹介します。

難治性心不全の克服に挑む

肥大型心筋症の治療薬開発へ

医学部医学科基礎医学系生体機能学領域 林 丈晴 教授

 

心臓のポンプ機能が正常に働かなくなる心不全。近年、日本でも「心不全パンデミック」といわれるほど患者数が増えている。超高齢化社会の中、心筋梗塞や高血圧などを原因とする心不全の治療が進展する一方、若者の突然死を引き起こす難病「肥大型心筋症」の根本的な治療法は、いまだに確立されていない。開発に挑む、医学部医学科の林丈晴教授を訪ねた。

 

肥大型心筋症(写真左)は、正常な心臓に比べて

心室の壁が異常に厚いのが分かる

心臓は、筋肉(心筋)の収縮と弛緩によって、右心室から肺へ、左心室から全身へと血液を送っている。心筋症は心筋の構造と機能に障害が起こる疾患で、心室の収縮能力が低下する「拡張型」と、心室の壁が厚く硬くなって広がりにくくなる「肥大型」に分類される。林教授が主たるターゲットとするのは肥大型だ。

 

「正常な心臓は、運動したり重いものを持ったりして血圧が急激に上がっても、心室がしなやかに広がってショックを受け止めます。しかし、肥大型心筋症の場合はそのショックを受け止められず、動悸や息切れ、不整脈が起こる。最悪の場合は突然死に至るケースもあります」と説明する。

 

「一般的な健康診断や心電図では発見されにくいのも問題です。主な原因は遺伝子変異で、患者は500人に1人とされていますが、最近では200人に1人との報告もあり、循環器系では最も頻度の高い、遺伝が関わる病気です。不整脈の防止を目的とした体内への除細動器の埋め込みや薬による治療が行われていますが、いずれも対症療法で有効な治療法はありません。新たな治療法の開発を目指し、まずは原因となる遺伝子の研究から始めました」

 

原因不明の多発家系の遺伝子を調べる

 

心筋の「アクチン」「ミオシン」「トロポニン」といった収縮に関与するタンパク質はサルコメアと呼ばれ、そのタンパク質の設計図となる遺伝子の変異が肥大型心筋症の主たる原因とされている。 しかし、心筋の細胞は細胞膜やミトコンドリアといったさまざまな構造の集合体のため、林教授はこうした構造を形成する多様な構造タンパク質の遺伝子変異も解析。心筋の肥大に関与する複数の原因遺伝子を発見し、その変異に伴う機能異常と共に報告してきた。

 

「それでも半分は原因不明。そこで、原因が分からない肥大型心筋症の多発家系の人々の遺伝子を網羅的に解析しました。その結果、この家系の人は心筋の構造タンパク質ではなく、あるサイトカイン(細胞間の情報伝達を担う物質)の分泌に関与する遺伝子に異常があることを突き止めました」

 

次に、遺伝子の機能とサイトカインの働きを調べるため、ラットやヒトiPS細胞由来の心筋、遺伝子改変マウスを用いて詳細に解析。その結果、このサイトカインが心筋の硬化や肥大を抑制する働きを持つことを見いだした。

 

「特筆すべきは、サルコメア構成タンパク質の遺伝子異常によって生た心筋の肥大にも、その効果が及ぶこと。このサイトカインは原因遺伝子の種類を問わず、肥大した心筋への投与により根本的な治療薬につながる可能性を持つと考えられます」と力を込める。

 

対象は1億人 早期実用化を目指す

 

さらに、より重症化した「拡張相肥大型心筋症」に対する効果も明らかになりつつある。「このタイプへの有効性が確認できれば、肥大型だけでなく拡張型にも適用でき、治療の対象者は世界で1億人は下りません。より多くの患者さんを救える可能性が見えてきました」

 

2023年には、日本医療研究開発機構の「橋渡し研究プログラム」に採択され国内特許を出願。24年には、外国特許の出願を支援する科学技術振興機構「知財活用支援事業」に採択され、国内特許出願を基礎とした国際特許の出願も行った。さらに同年8月には、東海大学も参画する大学発のスタートアップ支援事業「Greater TokyoInnovation Ecosystem」のGAPファンドからも支援を受けるなど、実用化を見据えた取り組みが進む。

 

「治療法が確立されれば、遺伝子変異があると診断された家系内の変異を有する方に早期から投与するなど、予防医療にも役立てられます。少しでも早く患者さんに治療薬を届けられるよう、慎重に効果を見極めながら臨床研究に進めたい」

 

【focus】
人生をかけて“1本”を磨き抜く

はやし・たけはる

1968年大阪府生まれ。広島大学医学部卒業、

東京医科歯科大学(現・東京科学大学)

大学院医歯学総合研究科修了。博士(医学)。

慶應義塾大学医学部難治性循環器疾患病態学

特任准教授などを経て2019年度より現職。
 

「肥大型心筋症の治療薬の開発は、ライフワーク」と言い切る。始めたきっかけは、この病気を患った一人の恩人。以後、四半世紀にわたり研究を続けてきた。「たくさんの患者さんやご家族に出会いましたが、自分の目の前で亡くなった方の顔が、今も目に浮かびます。最期は手を握るだけでした。もっと何かできたのではないか――」

 

治療薬につながる研究成果を世界で初めて発見した今、敏腕ビジネスパーソンのごとく実用化を目指してアクセルを踏む一方、“正しく疑う”研究者の姿勢は崩さない。「人に使う薬には徹底的な検証が必要」だからだ。

 

友人をして「一本気」と言わしめる生き方は、小学生から学生時代を中心に続けてきた剣道でも培われた。得意技は、相手が面を打ちにきた際に隙のできた胴を打つ「面抜き胴」。心を「空」にして相手と対峙し、動きを読み切って渾身の一刀を放つ。「研究も同じ。1本の論文を磨きに磨いて世に出したい。今、取り組んでいるサイトカインの研究は、自分にとって人生をかけた一刀です」

 

広島大学医学部時代の剣道の師範から、「王者の剣を目指せ」と教えられた。その言葉は常に胸にある。剣道も研究も、王道を尽くし、磨き抜いた“1本”で勝負する。

 

 

 

 

 

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