学生に何ができるのか
~今、東海大生が取り組んでいること~大きな被害をもたらしている東日本大震災。学生たちは何を考え、どのように行動したのか? 本紙では新学期がスタートした4月中旬、東海大生100人を対象に緊急アンケートを実施。その生の声を聞いた。、約8割の学生が、被災地や被災者のために行動を起こした」と回答している。その行動の詳細や背景にある“思い”を、数多く寄せられたコメントの中から紹介する。▼学生なので少額しかできないが気持ちを込めて募金する(農学部2年・女子)
▼レジでおつりを募金している(法学部4年・男子)
▼「被災地に不要な物を送って逆に混乱させてしまうのも避けたい」と考えると、信頼できる団体にお金を託して支援してもらったほうがいい(教養学部2年・女子)
▼募金や節電、風評被害に惑わされない、買いだめをしないなどをずっと続けていく。年月が経つにつれて、少しずつ支援が薄れていくと思うので(工学部2年・女子)
▼「募金活動をしよう」と他大学の友人などにも声をかけている。うれしいことに、それ以前に募金活動を企画・実施していた人も多い(農学部3年・男子)
▼電気が足りていないようなので、夏に向けてエアコンなどをあまり使わないようにしていきたい(理学部2年・男子)
▼節電を心がけ、昼間は電気をつけないようにしている(開発工学部4年・女子)
▼被災地支援に向けて動き出そうとしている企業の活動が停止してしまうと、被災地への支援も滞ることになる。被災地が1日でも早く復興するためには、被災しなかったすべての人が今自分にできることを心がけ、自分たちの日常生活を再開していくことが不可欠(文学部3年・女子)
▼被害がこれ以上大きくならないように願う(法学部4年・男子)
▼福島県を訪れてお金を消費することで、経済に貢献したい(政治経済学部4年・男子)
▼自分の家も被害にあった。被災者のためにと、心にもないことをしたくない。本当に心から何かをしたいと思わない限り、何もしないと思う(文学部2年・女子)
▼東海地震が起きた時、どこに避難すればいいのか確認しておこうと思った(海洋学部4年・男子)
▼私にできることは音楽しかないので、震災後すぐにコンサートを行った。楽しい歌を録音し、被災地の幼稚園などに郵送できたらいいなと思う(教養学部4年・女子)
▼自粛ムードだが、経済を回すために良い意味でお金を使うようにしている。チャリティーTシャツを買おうと思う(教養学部3年・女子)
▼進路が決まったら被災地でボランティアをしたい(政治経済学部4年・男子)
▼実家が仙台なので、戻れたらボランティア活動をしたい(国際文化学部2年・女子)
▼帰れる時には仙台の実家に戻り、片づけを手伝いたい。家族のことをよく気にかけ、ストレスなどを発散させてあげたい(理学部3年・女子)
▼夏に東北へ行ってボランティアをする予定。後輩の実家が被災しているのでお手伝いをしたい(体育学部4年・女子)
▼私は今、ボランティアなどに参加はしていないが、今回のアンケートで自分が何もしていないことに気づき、身近なことでも何かできるのではないかと感じた。募金など、何かはっきりとした形で支援をしていきたい(情報理工学部2年・男子)
▼飲み会に行く人が減って飲食業界が危機的状況にあることをニュースで知ったので、あえて飲み会を企画した。不謹慎だと思わず、被害が少なかった地域こそ一人でも多くの人が経済を回してその結果、東北の復興につなげるべきだと思う(情報通信学部3年・女子)
▼1年後も今と同じくらい全国民が関心を持ち、被災地が完全に復興するまで支援し続けたい(体育学部4年・女子)
▼不安は顔から広がる。どんな時でも笑顔を忘れない(工学部4年・男子)
▼日本全体が危機感を覚えていると思うが、こういう時だからこそ、被害のなかった私たちが今まで通りに生活をすることが大切だと思う(理学部3年・男子)
▼地元が静岡なので、東海地震が今回と同じくらいの規模だったらどうなるんだろうと考えた。被災地の皆さんにはがんばってほしい(生物理工学部2年・女子)
▼今は大学でしっかり学び いつか地元の宮城で働きたい(工学部4年・男子)▼被災地が以前の姿を取り戻すには長い時間がかかると思うが、被災しなかった自分たちがその分支えていけるよう、自分にできる支援を無理なく長期にわたって行っていきたい(開発工学部4年・女子)
▼今回の震災で自分に何ができて何ができないのかが分かった。そして、これから自分が工学部の学生として何をすればいいのかを考えた(工学部3年・男子)
▼何をすればいいのか分からずに、戸惑っている人がたくさんいると思う。私もその中の一人だ。被災者の方に、どのような言葉をかけていいのか分からない。でも音は伝わると思っているので、音楽を通して支援していきたい(教養学部4年・女子)
▼大学生の私ができるのは、生きていくことと、この東日本大震災を記憶することだと思っている。これからの日本を支えていくためにも精いっぱい生き、今回の震災の経験を後世まで語り継ぐことが、2011年に20歳だった私のやるべきことだと思う(文学部3年・女子)
▼何もしないことよりも自分にできることから行動し、過剰な自粛をせず、これからの復興に期待したい。この出来事を決して風化させないことが大事だと思う(理学部4年・女子)
経験生かし 被災地に応急公民館を建設下田奈祐(だいすけ)さん(工学部4年)
チャレンジセンターのキャンパスストリートプロジェクト・TCDIチームの一員として、神奈川県にある平塚海岸でのビーチハウス建設に携わった。この経験を生かして、「3・11生活復興支援プロジェクト」の学生リーダーに就任。岩手県大船渡市に応急公民館を建設するための準備にとりかかっている。
4月2日から4日まで現地調査に入ったが、自分の目で見て感じた景色は、テレビで流れていたものとはまるで違う。心が痛んだ。今、一番に考えなければならないと思うのは、現地の人の目線に立って行動すること。応急公民館を建設するにしても、実際に利用するのは私たちではない。だからこそ、現地の人を巻き込んで一緒に作り上げていく気持ちがなければ、活動自体が自己満足で終わってしまう。
そのために、まずは学内でこのプロジェクトに参加してくれるメンバーを積極的に募っている。「建築」という枠を飛び越えて、さまざまな学部や学科の仲間とともに、活動を発展させていきたいと願っている。
小さな支援を重ねつつ 将来に向かって努力する高橋紗祐理さん(文学部2年)
3月11日の大地震当日、宮城県にある実家にすぐ電話をかけたが一向につながらない。不安で胸がいっぱいになった。情報を得ようとテレビをつけると、信じられない光景が目の前に広がった。大津波が起こり、家が、車が、次々とのみ込まれていく。実家の隣町・南三陸町で起こっている出来事だった。現実が受け入れられず、ぼうぜんと立ち尽くした。
地震発生から2日後、やっとのことで父と電話がつながった。「家族全員無事」。私にとって、何よりも待ち望んだ一言だった。しかしライフラインが全滅し、暖まることも食事をとることもできない。そんな状況の中、看護師の母は自分も被災者であるにもかかわらず、一人でも多くの人を救うために必死で働いているという。父の話を聞き、キャンパスのある神奈川県で普段と変わらない生活を送りながらも落ち込んでいる自分を情けなく感じ、「私も前を向かなければ」と強く思った。
3月31日、やっと宮城に帰ることができた。帰省したからには何か役に立ちたいとボランティアに登録。私が任された仕事は、南三陸町の被災者を対象とした入浴サービスの援助だった。利用者の大半は家族連れだったが、中には一人でやってくる子どももいた。彼らの失ったものを考えると言葉が出ず、何も声をかけてあげられなかった。それでも「お姉ちゃん、ありがとう!」と言ってもらい、思わず涙してしまった。
また、自分の目で現実を確かめようと、甚大な被害を受けた石巻市にも足を伸ばした。しかし豹変した街を見ると、頭が真っ白になった。住宅街は瓦礫(がれき)の山と化し、瓦礫に流された船が突き刺さり、海水や魚や泥などが混ざり合い悪臭を放っていた。目の前に広がる光景を必死で受け入れるほかなかった。
実際に被災地を見て、被災者と接して、事態の深刻さが痛いほどに分かった。被災地が復興を遂げるには、相当の年月がかかる。それなのに、募金や節電など、ちっぽけなことしかできない自分が悔しくてたまらない。だが、「今できること」を無理に探さなくてもよいのではないか。復興には時間がかかるのだから、今は小さな支援を積み重ねながら、将来の目標に向かい努力する。私が目標を達成するころには、人々の震災の記憶は薄れているだろう。だからこそ、一人前になったその時に呼びかけるのだ。そして、完全に被災地が復興を遂げるまで、もしくはそれ以降もずっと、この震災のことを発信し続けたい。
「今」にとらわれなくていい。本当の復興はこれから始まる。そして復興させるのは、これからの日本を担う私たち世代の使命だ。