Column:Point Of View
2020年12月1日号
ざんねんないきもの
体育学部生涯スポーツ学科 松下宗洋 助教

私の担当するコラムでは、周囲の人間に「私といえば何?」と聞き、その回答をテーマとしている。ところで、この「Point of View」は多様な教育・研究活動の記事と併せて掲載されるので、おそらく研究の視点から社会を眺めた内容を想定したシリーズだと推察する。

しかし、駆け出し研究者の私が世相を切るのはなにか恥ずかしく、そうなるとコラムの上で切れるのは我が身しかない。そんな今回のテーマは、妻と話して決めた「ざんねんないきもの」である。妻のために書くが、この「ざんねんないきもの」は私が自身を評した言葉であり、妻の共感を呼んだ身を切ったギャグでもある。そもそも「ざんねんないきもの」とは、『ざんねんないきもの事典』(高橋書店)という、動物の“ざんねんな特徴”を愛らしく紹介する本を由来とする。妻が私の「ざんねんないきもの」に共感したのは知っているが、私のどの部分をざんねんと思ったのかは知らなかった。そこで、現在仕事の関係でアメリカに住んでいる妻に、スマホで理由を聞くことにした。遠く離れていても自分がざんねんな部分を聞けるとは、便利な世の中である。

妻が私の“ざんねん部分”を感じたエピソードはこんなものだ。年始のある日、妻が外出中に、私は「今年こそ腰痛とおさらばだ!」と意気込んでストレッチをしていると、バランスを崩してぎっくり腰をやってしまった。その後しばらくして帰宅した妻が発見したのは、ヨガマットの上で四つんばいのまま動けずに冷や汗をダラダラかいて悶えている私であった。
 
私が大学で運動指導の授業も担当していることを踏まえると、なんてざんねんなのだろうか。ただ、ざんねんな部分があると思われているくらいが期待値も高くなく、ざんねんなところが許容できる関係性のほうが気楽である。また「残念」ではなくて「ざんねん」とひらがなになっていることで全く傷つかないし、なにか愛らしい気もする(ただし、三十路男性がぎっくり腰で微動だにしない光景には愛らしさのかけらもない)

なお今回で「私といえば何?」というテーマでコラムを書くのは終わりにしたい(もうネタがない)。全4回のコラムのテーマですら初志貫徹できないところも、ざんねんな部分だと思う。

(筆者は毎号交代します)