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コラム

2021/04/01
学生と日々接する中で感じていることや思いなど、
毎年3人の東海大学の教員がそれぞれの視点からつづるリレーエッセイ。

作品をみることは、自分自身をみること

教養学部芸術学科 田口かおり 講師


私は、絵画の保存修復を専門にしている。「修復家」というと、「作品をなおす人」というイメージを抱く方が多いだろう。もちろん、作品に実際に触れて処置をすることは多々あるけれど、「修復家」の仕事はそれだけではない。最も大切な仕事は「作品をよく観察する」という作業である。この作品はいつ、誰によって制作され、どんな素材でできているのか。また、今どういう状態にあって、過去にどんな修復が行われたのか。時に光学調査を用いて内部に潜り込み、情報を集めていく。

作品に携わる作業のなかでとりわけ好きなのは、「展覧会のコンサヴェーション(conservation)」である。この現場では、とにかく多くの作品を次々に、そして仔細に「観察」できるからだ。その担当者を「コンサヴェーター(conservator)」と呼ぶが、この言葉はあまりなじみがないかもしれない。海外では、修復に携わる者は「修復家(レスタウラー)」ではなく、「コンサヴェーター」と呼ばれる機会のほうが多い。何かを「なおす=レストレーションする」よりも、「延命や保存をはかる=コンサーヴする」ことに重点を置こうとする、近年の保存修復分野の考えがここに表れている。

コンサヴェーターの役割は、作品の状態を点検し、問題があれば対応策を練ることである。必要に応じて最低限の修復をする。作品を壁に展示するための金具がついていなければ、方法を考えなくてはならない。コロナ禍で海外から作品輸送に同行する専門家が不在の今、作品をお預かりする立場としては、とにかく作品の安全な取り扱いに気を配る必要がある。

先日、三菱一号館美術館で開催されている「コンスタブル展」の作品点検で、コンスタブルが使ったパレットを点検した。画家の制作の痕跡を残し、当時の息吹を伝えてくれるパレットには、いくつかの大きな亀裂が入っていた。その傷に慎重に指先を添えて、そっと持ち上げた。ハッとするほど軽く、人差し指に心地よさを感じるなめらかさがあった。

作品をよく観察することは、自分自身を観察することでもある。視界に広がる情報と身体に伝わる感触とを合わせて、私は作品を見、同時に自身に日々、出会い直しているのかもしれない。

(筆者は毎号交代します)

 

たぐち・かおり 1981年生まれ。国際基督教大学教養学部卒業。フィレンツェ国際芸術大学絵画修復科修了。約10年間フィレンツェの工房に勤務後、京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了。

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