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コラム

2013/12/01
学生と日々接する中で感じていることや思いなど、
毎年3人の東海大学の教員がそれぞれの視点からつづるリレーエッセイ。

2つの玄関

国際文化学部デザイン文化学科 藤森 修 准教授

「オサム、こっちから入っていいわよ」とホームパーティーに招いてくれた家主が窓から顔を出した。ここデンマークの一般的な戸建住宅には2つの玄関がある。1つ目は内開きの扉が大らかにゲストを迎える。壁には絵がかけられ、飾り物で演出されたハレの空間といえよう。2つ目はいたって日常的で、住人と気の置けない仲間たちはこちらを使うことが多い。靴裏の汚れを払うマット、コートかけ、食品庫、洗濯機なども付帯している。僕がこちらに招かれたことは喜ばしいことだ。どちらの玄関を経たとしても、その先には北欧流の温かい家庭が待っている。

2つの玄関。不意に過去の記憶にため息をついた。日本の設計事務所での下積み時代、初の設計担当は新婚夫婦の家だった。次いで定年を迎えた大学教授の終(つい)の住処(すみか)。どちらも建主は希望にあふれていた。問題は次の仕事だった。「ブランド住宅地」が計画地であり予算も潤沢だった。

ときに設計者は建主の家庭の奥底に招かれるという艱難(かんなん)がある。扉をこえると引き返すことはできない。熟年の夫妻はひどく不仲だった。夫は純和風を愛し、材木屋まで高価な和室の床柱を探しに行った。一方で夫人はヨーロピアン好み。ステンドグラスやロココ風の西洋家具を求めた。互いに背反する世界に身を置くことで、アイデンティティーを保っているようだ。

僕が2人の間の防波堤となって打ち合わせすることは効率的でなかった。さらに僕には消波ブロックとなる才智もなかった。打ち合わせは次第に個別に行ったが、「藤森君はどちらの言うことを聞くの?」がまだ耳に残っている。
 
家を別々に建てたいとは何度も思った。だが夫人は地域の代表格の存在で「世間体」がある。家族が仲よく見えるような家、というのもこの仕事の裏テーマだったのだ。家の中では夫妻が極力出会う機会をつくらぬように2つの玄関へと帰趨(きすう)した。外から見ると平然とたたずむ家であるが、内部にはあふれんばかりの狂気が宿っている。2つの玄関は今でも使われているのだろうか。どちらの扉も冷たいスチール製で、重く厚い。扉の開閉の音を通じて相手に存在を伝える仕掛けを目論(もくろ)み、僕はその仕事を去った。

(筆者は毎号交代します)

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